THE LOUNGE LIZARDS [Post Punk / Post Rock]
80年代初頭、EGからミョウチクリンなバンドがアルバム・デビューした。ジャケットに漂うレトロな雰囲気。音の方はと言えば、一曲目冒頭は、大昔のジャズ・コンボが演奏しそうな型にはまった、スパイ映画のテーマソングになりそうなかなり古くさい音。「このまま進行するのか?」と、思いきや。
THE LOUNGE LIZARDS
前触れもなく始まるエレクトリック・ギターの弦をぶっかき回す音。はたしてこれをソロと言ってしまっていいものか?音程も和音もへったくれも無い。このプレイで何を主張したかったのか全くわからないが、「芸術は爆発だ!」とばかりに弦をどえらい勢いで掻きむしる。音楽的に確固たる根拠があるのか、それとも本人にしかわかり得ないような崇高な行為を音楽により実践しているのかも常人には全く理解不可能。
耳をそばだてれば、ソロ(?)パート以外でも、音階を持たないアタック音を中心にバッキングも行っている局面が聴いて取れるが、果たしてアンサンブルに貢献しているかどうかははなはだ疑問。救いがあるとするなら、笑えることと、いつまたあの発作ギターが始まるのかハラハラドキドキな所である。そういう意味ではスリリングであり、そこが『ウリ』なのか?
俺が察するに、この暴虐ギター弾き加入前からThe Lounge Lizardsは、かなり(いい意味で)『変態』なバンドだったのではなかったか、と思う。わざと時代遅れのジャズを演奏し、ひねくれたオルガンのアレンジで色を与える実験的な部分を主張する、それなりに戦略が練られたバンドだったのではないだろうか?
ところがどういう経緯かわからないが、ここに全くギターらしいバッキングもソロも弾けないギタリストが加入。バンドの方向性こそ極端に変わらなかったからよかったようなものの、アンサンブルを破壊するような残虐行為を行う。が、なぜかかEGからのこの作品でレコード・デビュー。その強烈な個性を持った音は、(俺を含む)物好きなリスナーに受け入れられ、パンク・ジャズとも、フェイク・ジャズとも呼ばれた。
実は、このアルバムでギターを弾いているArto Lindsayは、70年代終盤に、DNAなるポスト・パンクなバンドを主催、当時はBrian Enoにかなり気に入れられたようで、Eno主宰のコンピレーション作品にも顔を出している。当時、レーベルとしてのEGはBrian Enoの発言力が強かったようなので、The Lounge Lizardsもその流れのなかでデビューに漕ぎつけられたのではあるまいか?今改めて聴いてみると、意外にもArt BearsやHenly Cowなどと似た『匂い』を感じ取ることが出来る。
しかし、メンバー達はArto Lindsayの無軌道さに我慢がならなかったようで(チューニングすらしていなかったらしい)、程なくクビを宣告。新しい「弾ける」ギタリストを加入させるも意に反し注目度は激落ち。
『あんなでたらめな奴に自分たちの人気が支えられていたなんて』と、本当にやるせない思いでいっぱいだったろうなぁ・・・
The Lounge LizardsをクビになったArto Lindsayは自らの主催でバンドを結成、アンダー・グラウンドなジャズプレイヤー達に活動の場を与えていたらしい。当時の仕事仲間にはJohn Zornもいたらしい。なる程ね。
その後、ソロに転じたArto Lindsayは、どういう意識改革をしたのか、どこかモンド風のひねりの加わったラウンジ・ミュージックとでも言えそうな『お洒落なミュージシャン』に転身。が、アルバムを通して聴いてみると、散発的に、The Lounge Lizardsで実践していたような『痙攣掻きむしりギター』の断片が聴こえることから察するに、あの変態さは自分の芸風にしているんだろうなぁ。
THE LOUNGE LIZARDS
前触れもなく始まるエレクトリック・ギターの弦をぶっかき回す音。はたしてこれをソロと言ってしまっていいものか?音程も和音もへったくれも無い。このプレイで何を主張したかったのか全くわからないが、「芸術は爆発だ!」とばかりに弦をどえらい勢いで掻きむしる。音楽的に確固たる根拠があるのか、それとも本人にしかわかり得ないような崇高な行為を音楽により実践しているのかも常人には全く理解不可能。
耳をそばだてれば、ソロ(?)パート以外でも、音階を持たないアタック音を中心にバッキングも行っている局面が聴いて取れるが、果たしてアンサンブルに貢献しているかどうかははなはだ疑問。救いがあるとするなら、笑えることと、いつまたあの発作ギターが始まるのかハラハラドキドキな所である。そういう意味ではスリリングであり、そこが『ウリ』なのか?
俺が察するに、この暴虐ギター弾き加入前からThe Lounge Lizardsは、かなり(いい意味で)『変態』なバンドだったのではなかったか、と思う。わざと時代遅れのジャズを演奏し、ひねくれたオルガンのアレンジで色を与える実験的な部分を主張する、それなりに戦略が練られたバンドだったのではないだろうか?
ところがどういう経緯かわからないが、ここに全くギターらしいバッキングもソロも弾けないギタリストが加入。バンドの方向性こそ極端に変わらなかったからよかったようなものの、アンサンブルを破壊するような残虐行為を行う。が、なぜかかEGからのこの作品でレコード・デビュー。その強烈な個性を持った音は、(俺を含む)物好きなリスナーに受け入れられ、パンク・ジャズとも、フェイク・ジャズとも呼ばれた。
実は、このアルバムでギターを弾いているArto Lindsayは、70年代終盤に、DNAなるポスト・パンクなバンドを主催、当時はBrian Enoにかなり気に入れられたようで、Eno主宰のコンピレーション作品にも顔を出している。当時、レーベルとしてのEGはBrian Enoの発言力が強かったようなので、The Lounge Lizardsもその流れのなかでデビューに漕ぎつけられたのではあるまいか?今改めて聴いてみると、意外にもArt BearsやHenly Cowなどと似た『匂い』を感じ取ることが出来る。
しかし、メンバー達はArto Lindsayの無軌道さに我慢がならなかったようで(チューニングすらしていなかったらしい)、程なくクビを宣告。新しい「弾ける」ギタリストを加入させるも意に反し注目度は激落ち。
『あんなでたらめな奴に自分たちの人気が支えられていたなんて』と、本当にやるせない思いでいっぱいだったろうなぁ・・・
The Lounge LizardsをクビになったArto Lindsayは自らの主催でバンドを結成、アンダー・グラウンドなジャズプレイヤー達に活動の場を与えていたらしい。当時の仕事仲間にはJohn Zornもいたらしい。なる程ね。
その後、ソロに転じたArto Lindsayは、どういう意識改革をしたのか、どこかモンド風のひねりの加わったラウンジ・ミュージックとでも言えそうな『お洒落なミュージシャン』に転身。が、アルバムを通して聴いてみると、散発的に、The Lounge Lizardsで実践していたような『痙攣掻きむしりギター』の断片が聴こえることから察するに、あの変態さは自分の芸風にしているんだろうなぁ。
Ascension / Jesu [Post Punk / Post Rock]
グラインド・コアおよびデス・メタルの超重要バンド、Napalm Deathの初期メンバーでもあったJustin Broadrickのソロ・プロジェクト最新作。
予め断っておくが、これはグラインド・コアでもデス・メタルでもない。勿論、ブラスト・ビートの曲なぞ収録されていない。
それにしてもバチあたりなプロジェクト名をつけたもんだ。
Ascention / Jesu
アルバムはアコースティックギターの頼りない弾き語りに単調なベース、煮え切らないドラムで幕をあける。だらーんとした投げやりな雰囲気。「いまさらスロー・コアですか?」と思っていると、1分30秒を経過したあたりでとんでもない音圧のエレクトリック・ギターが参入。全ての音をかき消さんばかりにダウン・チューニングしたと思しき解放弦を多用したコードで曲を埋め尽くして行く。若干甘めの音質ながらも低音弦の経過音を活かした強烈なコード・ワークは爆音と言うにふさわしい。圧巻、というより、正気を疑ってしまう程の偏ったミックス・ダウン。
アルバム全編を通して聴いてもギターソロらしきものは無い。印象的なリフも無い。コード展開はそれなりに練られているが、展開部で気の利いた小技を繰り出すこともなく、ある意味禁欲的に爆音を配置していく。ベース、ドラム、曲によって聴かれるキーボードもかなり簡潔で、全ての曲、全てのパートにおいてこのアルバムに収録されている曲を演奏するのに特別なテクニックは必要ないと思われる。ディストーション・ギターがさっと引く瞬間が何回かあり、これがアクセントになっているが、アレンジも正直言えばどうってことない。アルバムの曲配列にもある程度の気は使っているようだが、効果が出ているかどうかは疑問が残る。
アンサンブルは成熟の域に達しておらず、まだまだ「伸びしろ」があるような気がする。だが、表現において成熟することが即ち魅力的になることに直結するのだろうか?
俺は一概にそうは思わない。雄弁な表現力の露出は時として押し付けがましい。流行の音響処理は没個性的に、受けを狙ったオーバー・プロデュースは嘘くさく感じるのも事実。
ましてや、「現在の自分の立ち位置」を自覚している音楽家にとって、「売る為に自分を曲解させる作為を第三者から示唆されること」なぞ、嫌悪対象以外の何物でもないのだ。
Jesuが実践しているのは、自分たちでつくった「バンドらしい」音だ。現在の自分が実践すべき、と考えた音楽を「自分の意図」が歪められないように慎重に創られている。その結果出た音は決して聴き易い音楽ではない。コマーシャリズムには乗りようもない。が、そこには偽りが感じられない。生々しくも騒々しく、そしてなぜか静謐な印象。音響的特徴が災いして好き嫌いははっきり分かれるだろうが、実験要素が希薄であるにも関らず、素晴らしいオリジナリティ。
もしこの音が90年代にあったらスロー・コア、もしくはサッド・コアの重鎮としてもてはやされただろう。人によってはRed House Paintersや、その後のSun Kil Moon、もしかしたらSigur Rosあたりとの相似性を指摘する者もいるかもしれない。確かに部分的に似ていることは否定出来ない。もしかしたらJustinはこのことに自分自身も気がつき、苦悩しているかもしれないし、どーでもいいじゃん、と思っているかもしれない。
ただ一つ言えること。Jesuは劇的な進化も退化もしないだろう。Jesuが変わるとき、それはプロジェクトが終わる時であり、新たな別名のプロジェクトが立ち上がる時でもあるだろうことは容易に察しがつく。
予め断っておくが、これはグラインド・コアでもデス・メタルでもない。勿論、ブラスト・ビートの曲なぞ収録されていない。
それにしてもバチあたりなプロジェクト名をつけたもんだ。
Ascention / Jesu
アルバムはアコースティックギターの頼りない弾き語りに単調なベース、煮え切らないドラムで幕をあける。だらーんとした投げやりな雰囲気。「いまさらスロー・コアですか?」と思っていると、1分30秒を経過したあたりでとんでもない音圧のエレクトリック・ギターが参入。全ての音をかき消さんばかりにダウン・チューニングしたと思しき解放弦を多用したコードで曲を埋め尽くして行く。若干甘めの音質ながらも低音弦の経過音を活かした強烈なコード・ワークは爆音と言うにふさわしい。圧巻、というより、正気を疑ってしまう程の偏ったミックス・ダウン。
アルバム全編を通して聴いてもギターソロらしきものは無い。印象的なリフも無い。コード展開はそれなりに練られているが、展開部で気の利いた小技を繰り出すこともなく、ある意味禁欲的に爆音を配置していく。ベース、ドラム、曲によって聴かれるキーボードもかなり簡潔で、全ての曲、全てのパートにおいてこのアルバムに収録されている曲を演奏するのに特別なテクニックは必要ないと思われる。ディストーション・ギターがさっと引く瞬間が何回かあり、これがアクセントになっているが、アレンジも正直言えばどうってことない。アルバムの曲配列にもある程度の気は使っているようだが、効果が出ているかどうかは疑問が残る。
アンサンブルは成熟の域に達しておらず、まだまだ「伸びしろ」があるような気がする。だが、表現において成熟することが即ち魅力的になることに直結するのだろうか?
俺は一概にそうは思わない。雄弁な表現力の露出は時として押し付けがましい。流行の音響処理は没個性的に、受けを狙ったオーバー・プロデュースは嘘くさく感じるのも事実。
ましてや、「現在の自分の立ち位置」を自覚している音楽家にとって、「売る為に自分を曲解させる作為を第三者から示唆されること」なぞ、嫌悪対象以外の何物でもないのだ。
Jesuが実践しているのは、自分たちでつくった「バンドらしい」音だ。現在の自分が実践すべき、と考えた音楽を「自分の意図」が歪められないように慎重に創られている。その結果出た音は決して聴き易い音楽ではない。コマーシャリズムには乗りようもない。が、そこには偽りが感じられない。生々しくも騒々しく、そしてなぜか静謐な印象。音響的特徴が災いして好き嫌いははっきり分かれるだろうが、実験要素が希薄であるにも関らず、素晴らしいオリジナリティ。
もしこの音が90年代にあったらスロー・コア、もしくはサッド・コアの重鎮としてもてはやされただろう。人によってはRed House Paintersや、その後のSun Kil Moon、もしかしたらSigur Rosあたりとの相似性を指摘する者もいるかもしれない。確かに部分的に似ていることは否定出来ない。もしかしたらJustinはこのことに自分自身も気がつき、苦悩しているかもしれないし、どーでもいいじゃん、と思っているかもしれない。
ただ一つ言えること。Jesuは劇的な進化も退化もしないだろう。Jesuが変わるとき、それはプロジェクトが終わる時であり、新たな別名のプロジェクトが立ち上がる時でもあるだろうことは容易に察しがつく。
Come On Die Young / Mogwai [Post Punk / Post Rock]
昨日、Mogwaiが新しいスタジオ・アルバムを発表した。勿論、俺も購入。とりあえず一回聴いてみたが、実直、真面目な演奏は相変わらず。数カ所で「おっ?」と思わせる局面があったが、やはりあの体験を凌駕するインパクトはえられなかった。決して悪くはないんだけどなぁ、あのアルバムのことを考えると何もかもがかすんでしまうんだよなぁ。
と、いうわけで、もやもやを吹っ切るため、あの奇跡の名盤を聴き直してみた。
やっぱ、いいわぁ。これ。
Come On Die Young / Mogwai
以前もここでしたためた記憶があるが、俺が最初に聴いたMogwaiの作品がこれである。新宿のタワー・レコードでジャケットからただならぬ雰囲気を感じ取り、予備知識なしで購入。予想していた音とは全く異なっていたが、その内容の素晴らしさは俺の期待に充分に応えてくれた。
クリアーなトーンのどこまでも醒めたギター、ニュアンスに富んだピッキング。生々しくも重いドラム。あまり目立たないがツボを的確にとらえたベースとキーボード。そして若干の吹奏楽器がここに乗り、細部にまで制御の行き渡ったアンサンブルを聴かせる。大きなうねりをもったゆったりとしたリズム。ボーカルを伴う曲は序盤に一曲だけ。ところどころ効果音、音響的な実験をはさみながら、アルバムは進行する。普通なら冗長に感じてしまっても不思議ではないのだが、全く飽きることなく淡々と時は流れる。そして約1時間が経過し残すところ2曲、圧倒的なカタルシスが待ち受けている。10分を超える大作、Christmas Steps、この一曲の説得力はとにかく凄い。
序盤は他の曲と似たようなギターのクリーン・トーンによるアプローチが続く。中盤、力強いベースのコード弾きをきっかけに徐々にスピードが上がってくる。充分リズムが安定したところでギターが血しぶきが飛ぶかのようなカッティングを聴かせる。しばらくの後、突如としてディストーションが踏まれ、一気に音圧が上がる。アンプの箱がギリギリと軋む音まで聞こえてきそうだ。聴き手が音圧を心地よく感じ始めた頃合いをはかり、唐突にコードが展開、ギターが簡潔にして印象的なフレーズを奏でる。頭がはじけ飛ぶような開放感。曲は充分な時間をかけて徐々に平静を取り戻し、最後は何事も無かったかのように静かに終わる。
焦る事無く音響を重視しつつ根気よく演奏に取り組み、結果を出す。これは新世代のPink Floydだ。プログレだ。
この通り、この一曲だけを取り出しても充分素晴らしいが、その本当の良さはアルバムの曲配列の妙により増幅されることを作品通して聴き、検証すべきである。
このアルバムが発表された頃、MogwaiはRed House Paintersなどと共に、Slow Core、もしくはSad Coreというジャンルに分類されていた。確かにこのアルバムに限って言ってしまえば、ほとんどの曲はスロー・テンポだし、明るい調子の曲は聴かれない。「どこを聴けばいいのかわからないし、どこが面白いのかわからない」と、拒否反応を示す聴き手も少なくないことは容易に察知できる。
が、少なくとも俺は一旦この作品を聴き始めると、飽きること無く最後まで聴き通せる。そして最後は心地よい疲労感につつまれる。端的に言えば、『癒される』のだ。
Punk/New Wave以降のRockにおいて、My Bloody ValentineのLoveless、Nine Inch NailsのFragileなどと並び、非常に重要な位置にある作品。名盤保証。是非、聴くべきである。
と、いうわけで、もやもやを吹っ切るため、あの奇跡の名盤を聴き直してみた。
やっぱ、いいわぁ。これ。
Come On Die Young / Mogwai
以前もここでしたためた記憶があるが、俺が最初に聴いたMogwaiの作品がこれである。新宿のタワー・レコードでジャケットからただならぬ雰囲気を感じ取り、予備知識なしで購入。予想していた音とは全く異なっていたが、その内容の素晴らしさは俺の期待に充分に応えてくれた。
クリアーなトーンのどこまでも醒めたギター、ニュアンスに富んだピッキング。生々しくも重いドラム。あまり目立たないがツボを的確にとらえたベースとキーボード。そして若干の吹奏楽器がここに乗り、細部にまで制御の行き渡ったアンサンブルを聴かせる。大きなうねりをもったゆったりとしたリズム。ボーカルを伴う曲は序盤に一曲だけ。ところどころ効果音、音響的な実験をはさみながら、アルバムは進行する。普通なら冗長に感じてしまっても不思議ではないのだが、全く飽きることなく淡々と時は流れる。そして約1時間が経過し残すところ2曲、圧倒的なカタルシスが待ち受けている。10分を超える大作、Christmas Steps、この一曲の説得力はとにかく凄い。
序盤は他の曲と似たようなギターのクリーン・トーンによるアプローチが続く。中盤、力強いベースのコード弾きをきっかけに徐々にスピードが上がってくる。充分リズムが安定したところでギターが血しぶきが飛ぶかのようなカッティングを聴かせる。しばらくの後、突如としてディストーションが踏まれ、一気に音圧が上がる。アンプの箱がギリギリと軋む音まで聞こえてきそうだ。聴き手が音圧を心地よく感じ始めた頃合いをはかり、唐突にコードが展開、ギターが簡潔にして印象的なフレーズを奏でる。頭がはじけ飛ぶような開放感。曲は充分な時間をかけて徐々に平静を取り戻し、最後は何事も無かったかのように静かに終わる。
焦る事無く音響を重視しつつ根気よく演奏に取り組み、結果を出す。これは新世代のPink Floydだ。プログレだ。
この通り、この一曲だけを取り出しても充分素晴らしいが、その本当の良さはアルバムの曲配列の妙により増幅されることを作品通して聴き、検証すべきである。
このアルバムが発表された頃、MogwaiはRed House Paintersなどと共に、Slow Core、もしくはSad Coreというジャンルに分類されていた。確かにこのアルバムに限って言ってしまえば、ほとんどの曲はスロー・テンポだし、明るい調子の曲は聴かれない。「どこを聴けばいいのかわからないし、どこが面白いのかわからない」と、拒否反応を示す聴き手も少なくないことは容易に察知できる。
が、少なくとも俺は一旦この作品を聴き始めると、飽きること無く最後まで聴き通せる。そして最後は心地よい疲労感につつまれる。端的に言えば、『癒される』のだ。
Punk/New Wave以降のRockにおいて、My Bloody ValentineのLoveless、Nine Inch NailsのFragileなどと並び、非常に重要な位置にある作品。名盤保証。是非、聴くべきである。
Summer Sun / Yo La Tengo [Post Punk / Post Rock]
このバンド、そのアプローチの多様さから察するに、メンバーは様々な音楽を聴いてきた、と思われる。都会的なのか素朴なのか判断に苦しむような音創り、そして時折聞かれる、聴き手を煙に巻くような音響。どこかVervet Undergroundを思い起こさせるような雰囲気。決してテクニックを誇示するようなことはなく、淡々と曲は進行する。
というより、そもそもこのバンドに、人様に誇示できる程の演奏テクニックを持ち合わせているメンバーがいるのだろうか?
多分、いないんだと思う(笑)。
Summer Sun / Yo La Tengo
それにしても、なんか締まらねぇデザインのジャケットだなぁ…(笑)
このバンドについてはあまり詳しくは知らない。どうやら80年代から夫婦者が中心として活動を始めたようだ。過去作品を聴いてみると、あまり統一したカラーは感じない。作品を重ねる毎に進化しているという印象も無い。音楽性は雑多。中にはJesus & Marychainを彷彿させる爆音ロックンロールを収録している作品もあったりする。
このバンドの作品は多分7~8枚程度しか聴いていないし、結成当初は知らないので(遡って聴くほどではないので)、バンドの立ち位置については良くわからない。ただ、明確な根拠はないが、なんとなく同時期に活躍していた(今でも活躍しているのか?)Stereolabに共通した匂いを感じ取る事が出来る。どことなく「モンド系」な雰囲気が似ているのかもしれない。しかし、Stereolabは作品を重ねるごとにどんどんと音を創り込んで行ったのに対し、Yo La Tengoはその時々に「自分達が好きで聴いた音楽の雰囲気」を記憶の引き出しの奥から引っ張り出し、特に再検証も行わずに、自分達流に演奏しているような印象を受ける。
当然、出来上がった音は、彼らがイメージしたと思しき音をリアルタイムで聴いて心酔していた熱心なファンからすれば不完全であり、「やりたいことはわかるけどさぁ、ツメが甘いんじゃねぇか?」と思わせる局面も皆無ではない。しかし、彼らの記憶から欠落したそれらの部分は彼ら独自のカラーで補われ、いい感じの「ユルさ」が現出していることも否めない。そして、その「ユルさ」こそが、このバンド最大の魅力であり、最もいい形で具現化されたのがこの作品である、と、思っている。
購入当時は頻繁に聴いていた。その後もほどほどにユルい気分になりたいときはこの作品に手が伸びる。何度聴いても飽きる事がない素直な音。狙いすぎていない程良いメロディー。この作品発表後、バンドは何作か新作も発表しているが、俺はこのSummer Sunが一番好きだ。どこといって突出したところはないが、この作品とは、一生「ユルい」お付き合いが出来ると思う。
というより、そもそもこのバンドに、人様に誇示できる程の演奏テクニックを持ち合わせているメンバーがいるのだろうか?
多分、いないんだと思う(笑)。
Summer Sun / Yo La Tengo
それにしても、なんか締まらねぇデザインのジャケットだなぁ…(笑)
このバンドについてはあまり詳しくは知らない。どうやら80年代から夫婦者が中心として活動を始めたようだ。過去作品を聴いてみると、あまり統一したカラーは感じない。作品を重ねる毎に進化しているという印象も無い。音楽性は雑多。中にはJesus & Marychainを彷彿させる爆音ロックンロールを収録している作品もあったりする。
このバンドの作品は多分7~8枚程度しか聴いていないし、結成当初は知らないので(遡って聴くほどではないので)、バンドの立ち位置については良くわからない。ただ、明確な根拠はないが、なんとなく同時期に活躍していた(今でも活躍しているのか?)Stereolabに共通した匂いを感じ取る事が出来る。どことなく「モンド系」な雰囲気が似ているのかもしれない。しかし、Stereolabは作品を重ねるごとにどんどんと音を創り込んで行ったのに対し、Yo La Tengoはその時々に「自分達が好きで聴いた音楽の雰囲気」を記憶の引き出しの奥から引っ張り出し、特に再検証も行わずに、自分達流に演奏しているような印象を受ける。
当然、出来上がった音は、彼らがイメージしたと思しき音をリアルタイムで聴いて心酔していた熱心なファンからすれば不完全であり、「やりたいことはわかるけどさぁ、ツメが甘いんじゃねぇか?」と思わせる局面も皆無ではない。しかし、彼らの記憶から欠落したそれらの部分は彼ら独自のカラーで補われ、いい感じの「ユルさ」が現出していることも否めない。そして、その「ユルさ」こそが、このバンド最大の魅力であり、最もいい形で具現化されたのがこの作品である、と、思っている。
購入当時は頻繁に聴いていた。その後もほどほどにユルい気分になりたいときはこの作品に手が伸びる。何度聴いても飽きる事がない素直な音。狙いすぎていない程良いメロディー。この作品発表後、バンドは何作か新作も発表しているが、俺はこのSummer Sunが一番好きだ。どこといって突出したところはないが、この作品とは、一生「ユルい」お付き合いが出来ると思う。
DOME 3 [Post Punk / Post Rock]
DOMEはポスト・パンクの最重要グループ、WIREの Graham LewisとBruce Gilbertによるサブ・プロジェクト。活動していた時期は80年代中盤だったと記憶している。4枚目まで出ていたはずだが、中でもこの3枚目の音響実験は恐ろしくもあり、素晴らしくもある。
DOME (3) / DOME
彼らの本来のバンド、WIREのリーダー(だったと思う)のColin Newmanのソロ作品の数々も雰囲気があってなかなか面白いのだが、かなりまっとうな音楽の体裁を保っていて、聴きようによっては良質なポップ・ミュージックも多い。
それに引き換え、このDOMEなるプロジェクトが出すのは、聴き手を拒絶するかのような陰惨な音だ。
曲によってはギター、ドラム、ベース、驚くべきことにホーン、グロッケンなども使用し、ボーカルも入ったりするのだが、全体を支配するのはアバンギャルドなノイズ、というか、聴き手を不安に陥れる音響。いわゆる「気持ちよく聴ける楽曲」として音を成立させるための重要ファクターであるアンサンブル、曲の整合性は価値基準からほぼ外されている。特に印象的なのは、殆どの曲で聞かれる工場で発せられるような規則的にして非音楽的な音響。これにわずかばかりの音楽的作為を施した作品は独特な「非人間的」な雰囲気を漂わせる。
一聴すると興味深いながらも不愉快な音のはずなのだが、不思議なことに聴き込んでいくうちに脳内のどこかで革命が起こり、ある瞬間、心地よく感じるようになってしまうのだ。こうなるともういけない。何度でもリピートし、環境音楽として聴けるようにもなってしまう。かと言って、来訪者がいる時にこれをかけると変人扱いを受けることになるので要注意である。
俺自身はいまだに大好きであるが、客観的に言えば、聴き手にとっては決して善良な音楽ではないし、そこで使われている音響は、部分的に抽出しても一般的に心地よく感じられない物が多い。実験的な試みが聴いて取れる作品ではあるが、この実験からどのような結果が出たのか解らないくらい混沌が支配的である。
This Heatとの相似形を指摘する者も多いし、時代的にもほぼ重なっているが、この作品を聴くに際しては、これらの音がこの時代のメイン・ストリームを形成していた訳ではなかったことを理解するべきであろう。あくまでも、非アカデミックな音楽の広がりの可能性を実験的に行ったものであり、本人たちも「前衛的である」ことを意識してこの作品を制作したはずだ。事実、この作品が発表後20年以上を経過した現在でも陳腐化せずに前衛的であり続けていることは驚きに値する。
幸いなことにDOMEが発表した4作品は2枚のCDに集約されて発売されている。俺がショップで偶然発見、鼻息も荒く購入した時は一枚¥3,000超だった記憶があるが、なんと今確認したらAMAZAONでは¥1,500以下で売っているではないか・・・
。
ちなみに、Bruce Gilbertは個人名義でも数枚の作品を発表している(勿論、所持している)。中には現代バレエのための作品もあったりするから驚きである
DOME (3) / DOME
彼らの本来のバンド、WIREのリーダー(だったと思う)のColin Newmanのソロ作品の数々も雰囲気があってなかなか面白いのだが、かなりまっとうな音楽の体裁を保っていて、聴きようによっては良質なポップ・ミュージックも多い。
それに引き換え、このDOMEなるプロジェクトが出すのは、聴き手を拒絶するかのような陰惨な音だ。
曲によってはギター、ドラム、ベース、驚くべきことにホーン、グロッケンなども使用し、ボーカルも入ったりするのだが、全体を支配するのはアバンギャルドなノイズ、というか、聴き手を不安に陥れる音響。いわゆる「気持ちよく聴ける楽曲」として音を成立させるための重要ファクターであるアンサンブル、曲の整合性は価値基準からほぼ外されている。特に印象的なのは、殆どの曲で聞かれる工場で発せられるような規則的にして非音楽的な音響。これにわずかばかりの音楽的作為を施した作品は独特な「非人間的」な雰囲気を漂わせる。
一聴すると興味深いながらも不愉快な音のはずなのだが、不思議なことに聴き込んでいくうちに脳内のどこかで革命が起こり、ある瞬間、心地よく感じるようになってしまうのだ。こうなるともういけない。何度でもリピートし、環境音楽として聴けるようにもなってしまう。かと言って、来訪者がいる時にこれをかけると変人扱いを受けることになるので要注意である。
俺自身はいまだに大好きであるが、客観的に言えば、聴き手にとっては決して善良な音楽ではないし、そこで使われている音響は、部分的に抽出しても一般的に心地よく感じられない物が多い。実験的な試みが聴いて取れる作品ではあるが、この実験からどのような結果が出たのか解らないくらい混沌が支配的である。
This Heatとの相似形を指摘する者も多いし、時代的にもほぼ重なっているが、この作品を聴くに際しては、これらの音がこの時代のメイン・ストリームを形成していた訳ではなかったことを理解するべきであろう。あくまでも、非アカデミックな音楽の広がりの可能性を実験的に行ったものであり、本人たちも「前衛的である」ことを意識してこの作品を制作したはずだ。事実、この作品が発表後20年以上を経過した現在でも陳腐化せずに前衛的であり続けていることは驚きに値する。
幸いなことにDOMEが発表した4作品は2枚のCDに集約されて発売されている。俺がショップで偶然発見、鼻息も荒く購入した時は一枚¥3,000超だった記憶があるが、なんと今確認したらAMAZAONでは¥1,500以下で売っているではないか・・・
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ちなみに、Bruce Gilbertは個人名義でも数枚の作品を発表している(勿論、所持している)。中には現代バレエのための作品もあったりするから驚きである