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The great gong kebyar of the 1960s. [ガムラン]

春も目前だし、久々にガムラン、である。

 
先日、「最近あまりガムラン聴いて無いな・・・そうだ、あれ、久しぶりに聴いてみるか」と、深く考えずにこの作品に手を伸ばしたのだが、改めてその素晴らしさを確認した。


Les Grands Gong Kebyar Des Annees Soixante
 
Les Grands Gong Kebyar Des Annees Soixante.jpg

この作品、ラジオ・フランスの名門レーベル、ocoraから発表されたGong Kebyarの名楽団、4組の演奏をオムニバス収録したCD2枚組。録音は1969年、1970年、1971年にかけて行われたらしい。もしかしたら以前はレコードで発売されていたのかもと思い、ちょっと調べたのだが1994年にCDでリリースされた以前の記録は見つけられなかった。

俺自身は発表間もない頃に予備知識もなく偶然新宿のVirgin Mega Storeで発見、大興奮しながら商品を手に取るも値段を見るなり予想をはるかに上回る高額(確か¥7,000超)に毒気を抜かれ、一旦は棚に戻して店を出た。が、「今日、ここで買わなければ次の出会いは無いかもしれない」と思いあぐねて新宿駅から引き返し、意を決して購入した思い入れの深い(笑)作品である。

収録されている4楽団は、硬質な印象のSawanの楽団、Anack Agung Gede Mandera率いるGunung Sari、重厚な印象のPindaの楽団、素晴らしくバランスのとれたTampaksiringの楽団。

せっかくだから簡単に個別の楽団の演奏について触れてみよう。

Sawanの楽団の演奏は3曲、全て舞踊の伴奏曲であるが、一曲目のTaruna Jaya、これが白眉だ。勿論この曲は、Gong Kebyarの巨匠、Gede Manikの手によるもので、創作されたのが半世紀以上、いや、一世紀近くも前である、という事実に改めて驚きを禁じ得ない。現在、バリ島各地で開催されている観光客向け公演で上演されることの多いこの演目は、通常12分程が一般的であるが、この時点での録音では16分超もある。この曲の冒頭部分はノンリズムの交響楽風の豪奢な演奏が長時間続き、プロローグ的な役割をも果たしているのだが、この部分が非常に長く、かつ現在では聞かれないアレンジである。勿論、舞踊家が登場してからの尺も長く、次から次へと様々な表情を見せては変容していく様は圧巻。ある意味、過度に情緒的にならずにぐいぐいと突き進んでいくその様はGong Kebyar発祥の地、Buleleng地方の楽団の面目躍如と言ったところか。
 
さて、Gunung SariについてはOleg Tamulilingan、Legong Keraton、Kapi Rajaが収録されている。実に的確な選曲。唯一、Legong Lasemが短縮版なのは残念だが、特筆すべきは現在においてもGunung Sariの最重要レパートリーとも言えるOleg Tamulilinganだ。この演奏におけるスリン奏者のフレージングの創造力、自由度は圧巻。ツボを外すことなく素晴らしい集中力で縦横無尽に吹きまくる。圧倒的に豊かな表現。この演奏はおそらく、いや、絶対にスリンの達人、Gusti Putu Okaさんだ。個人的にはこの一曲だけのためにこの作品を買って良かった、と思えたほど素晴らしい。

CD2の冒頭、Pindaのグループが演奏するのは、27分、16分の長尺のルランバタンの2曲。2曲目のSemarandanaという曲においては主旋律はUgalが担当しているが、Lelambatan形式の曲のはずだ。威厳を感じさせる堂々とした演奏は格調をを感じさせ、実に素晴らしい。いずれにせよ、Pindaの楽団の演奏がこの位置に配列されていることによって、この作品の「流れ」とでも言えるものが出来上がっている。

最後に控えしTampaksiringの楽団の一曲目は近代Gong Kebyarの傑作、Gede Manikの手による名曲Manuk Anguciだ。耳を奪われる印象的な曲展開、様々な演奏技法の提示。10分を超える曲中にこれでもかと投入されているGong Kebyarのエッセンス。この曲が現代のKreasi Baruのお手本の一つになったことは容易に察知できる。続く最終曲はWayan Lotringの手によるPelayon、これは曲としてはいわゆるKebyar Dudukなのだが、実に流麗な旋律、そして魅力的な演奏だ。


以上、合計10曲にして2時間超。実に充実した内容。1920年代終盤に生まれたGong Kebyarという近代ガムランの音楽文化が、上り調子でぐいぐいと突き進んでいた黄金期の局面を切り取った名盤、と言って差し支えないと思う。
音質面については50年も前の現地録音なので、超良好というわけにはいかないが十分許容範囲。ブックレットも実に充実していて資料的価値も高いし、ガムラン愛好者には是非購入をお勧めする、と、ここでAmazonを調べてみたらやはり新品の取り扱いはなし、中古盤は・・・おいおいおいおい、¥26,000もするのかよ!う〜ん・・・ま、とにかくショップで万が一売れ残っているこいつを見かけたら、迷うことなく連れ帰って欲しい。バリの現在の芸能文化に繋がる貴重な記録であると同時に、録音から半世紀が経過しようというのに十分楽める芸術作品だ。

あ、ちなみにジャケットの写真はLegong Lasemを踊る若き日のIbu SriとIbu Nyomanだと思われる。当然、この頃はTirta Sari結成前なのでGunung Sariでの撮影だろう。

 
********************

 
それにしてもだよ。Radio Franceが少なくとも3年にわたる取材でたったこれだけの録音しかしていないとは到底考えられないのだよなぁ。おそらく、各楽団で1作品作れるだけの録音はしているはずだ。勿論、商業作品として成立させるためにはこのくらいのボリュームでこの選曲が最適、と判断したからこそこういう売り方になったんだろうが、こういった歴史的に価値のある録音はなんらかの形で世の中に出して欲しい。おそらく、俺と同じように感じている人も多いと思う。

勿論、素晴らしい音楽作品は充実した解説付き、美しいデザインのジャケット付きで「モノ」として所有はしたいよ。でも「商品」として流通させるにはコストの面で見合わないのなら、「作品」という体裁ではなくとも良いから「記録」として最低限の文字情報と共にダウンロード販売でもしてもらえないだろうか?

でも、もしそれが実現した結果、とんでもない量の録音が巷に氾濫、文化的な希少価値が薄れ、製品化されたものの売り上げにすら影響することも考えられないでもないけど・・・



だめか・・・やっぱ、だめなんだろうな・・・

 
 
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GAMELAN SEMAR PEGULINGAN [ガムラン]

前回に引き続き、ガムランである。

東京地方は桜が狂い咲き。俺はこの時期になると毎年のようにGunung Jatiの「耽美と陶酔のガムラン」を聴き続けることになるのだが、今年はこんなのを加えてみた。


Gamelan of the love god GAMELAN SEMAR PEGULINGAN

gunung jati  nonsuch 2.jpg

これも前回紹介したMusic from the Morning of the Worldと同じ、NONSUCH EXPLORERからの発売。初版は1972年。録音場所は、Teges Kanyinan, Pliatan, Baliとのみあり、楽団の名前は記載されていない。が、楽団の主要メンバーとして、I Made GrindamとI Made Rubahが名前を挙げられている。と、言う事は、これは将来的にGunung Jatiに繋がって行く楽団であることは間違いない。使っている楽器のセットも同じもののようだ。

元々この楽団が使用している楽器群は、マンダラ王家が所有していたSemar Pegulinganのセットを、当時バリでフィールドワークを行っていたカナダ人の音楽家、Colin Macpheeが借り受けたもので、Macpheeの発案により調律を変え、交流のあった音楽家、I Made Rubah達を中心に結成した楽団に使わせていたもののはずだ。
日本盤の解説書を読んで初めて知ったのだが、Colin MacPheeが帰国後、楽団は活動を止めてしまったそうだが、この作品のレコーディングがきっかけかどうかは定かではないが、長い休眠期間を経て再び活動を始めたらしい。それにしても、Colin MacPheeが帰国したのが1939年とのことだから、解説書が正しければ30年近くは活動していなかった事になる。ま、中心メンバー以外は相当数世代交代しているんだろうが。

で、肝心の内容だが、これがまた素晴らしい!ダイナミックな抑揚がありながらも実に実直な印象な演奏。楽器の音響的特徴と相まって、独特な退廃的雰囲気を作り出している。

収録されているのは以下の6曲。

1. Tabuh Gari
2. Gambang
3. Tabuh Pisan
4. Barong
5. Sinom Ladrang
6. Legong Keraton : Playon

日本盤のライナーには個別に解説がなされているので全てに言及することは避けるが、2曲目に収録されているGambangとクレジットされている曲は、I Wayan Lotring作曲の、現在ではGambang Kutaと呼ばれる事の多いあの名曲である。また、4曲目のBarongとは、バロン・ダンスの抜粋などではなく、これまたI Wayan Lotring作曲の名曲、Liar Samasである。おそらく、バロン劇の序曲として演奏されることが多いので、曲名の聞き取り調査の時にコミュニケーション能力不足が災いして齟齬が生じ、このような名前でクレジットされることになったものだと思われる。勿論、Bebarongan編成で演奏されているため、との仮説も成り立つが、もしそうだとしたら、同じくBebarongan編成で演奏されている3曲目のTabuh PisanがBarongという名前でクレジットされていないことの説明がつかない。あ、もしかしたら、楽団の連中、30年近く演奏していなかったせいで曲名忘れちゃったのかも。なんか、ありそうだなぁ。

音質面においては、さすがに1970年代初頭の現地録音なので、超良好、とまでは言えない。若干、音圧が足りないような気がしないでもないが、元々Semar Pegilinganは音圧で勝負するようなタイプの楽器群ではないし、このバランスに不満は感じない。あえて残念な点を挙げるとするなら、「耽美と陶酔のガムラン」が醸し出していた、肌にねっとりとまとわりつくようなバリの夜のあの熱気や湿度感が感じられないところだ。まぁ、そもそもこの録音が夜間行われたとも思われないのだが、音像に薄いベールがかかってしまっているような印象を受ける。
とはいいつつ、じっくりと鑑賞するに足りる十分なレベルを保っており、何よりもあの悪魔的な魅力を持つGunun Jatiの音であることに間違いない。勿論、これよりも先に「耽美と陶酔のガムラン」を聴くべきだが、この作品もガムラン愛好者は必聴であることに変わりはない。

そして何よりも、この楽器群で演奏されるセミ・クラシカルな曲の表情が、桜の花弁がはらはらと舞い散る風景に完璧にはまるのだ!その視覚と聴覚に訴える相乗効果は圧倒的、かつ絶大であり、狂おしいまでに美しい、と言っても決して過言では無い。

さぁて、今日はこいつをiPodで聴きながら夜桜見物と洒落込むか。




≪バリ≫バリのガムラン2~ガムラン・スマル・パグリンガン

≪バリ≫バリのガムラン2~ガムラン・スマル・パグリンガン

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: ワーナーミュージック・ジャパン
  • 発売日: 2013/11/20
  • メディア: CD


こちらもおすすめ。

耽美と陶酔のガムラン

耽美と陶酔のガムラン

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: ビクターエンタテインメント
  • 発売日: 2000/08/02
  • メディア: CD



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Music From The Morning Of The World 『世界の夜明けの音楽』 [ガムラン]

久々の更新、たまにはガムラン音楽作品を取り上げてみようと思う。

それにしても、なんで今までこの作品を取り上げなかったのか自分でも不思議。


Music From The Morning Of The World 邦題は『世界の夜明けの音楽』

music from morning of the world.jpg

 
この作品、民族音楽のフィールドレコーディング(現地録音)の名手、David Lewistonの初録音作品にして歴史的名盤。録音は1966年、発表は翌年。この人の録音した世界各国の民族音楽作品はノンサッチ・エクスプローラーから大量に発表されているが、中でもこの作品が最も歴史的に価値が高いのではないか?

収録されている内容はと言えば、ケチャ、ゴン・クビャール、ガンブー、ゲンゴン、アンクルン、グンデル・ワヤン等、実にバラエティ豊か。中にはLullabyという名目で、女性の独唱まで収録されている。いわゆるオムニバス盤で、残念な事に部分的にしか収録されていない曲もある。まぁ、ケチャやバロン・ダンスの模様を全曲収録しようとしたらそれだけで一作品になってしまうので、これはいたしかたないところだろう。
また、曲毎に簡単な解説はあるものの、演奏者は明記されていない。これは、録音者、David Lewistonがバリ島の音楽の多様性に驚くあまり、楽団毎の個体差まで踏み込めなかった故ではないか、と思われる。まぁ、初めての取材旅行でバリに赴き、あふれんばかりの音楽にさらされ、全ての情報を消化しきれなかったのはわかるが、若干、録音対象、即ち演奏者に対するリスペクトが欠けているような気がしないでもない。が、David Lewistonはこの録音の20年後にバリを再訪、録音を行い、Gamelan & Kecakというオムニバス作品を発表しており、こちらには曲毎に演奏団体、演奏者のクレジットが表記されている。

演奏内容については決定的な欠点は見当たらない。が、前述の通り部分的にしか収録されていない曲もあるので、じっくりとバリ音楽の芸術性を堪能したい人には不満が残るかもしれない。しかしながら、様々なバリ音楽の紹介、と言って良い内容なので、「とりあえずバリの音楽を聴いてみたいが何を聴いたらいいかわからない」という初心者にとっては格好の入門編となるだろう。収録状況については決して良好とは言えないが、50年も前のポータブル機材を使用してのフィールド録音である事を考えれば仕方ないし、決して聴くに耐えないレベルではない。

こう文章にしてみるといまいちな印象になってしまうが、これは誰が何を言おうともガムラン音楽を広く世の中に知らしめた金字塔であることは疑いようもなく、ガムラン愛好者なら誰もが所持してなければいけない超重要作品なのだ。そして、この歴史的名盤が、現在はなんと千円以下で入手出来るのだ!
俺が輸入盤で入手した時は三千円近い投資をした記憶があるのだが・・・


ほんと、いい時代になったなぁ・・・




≪バリ≫バリのガムラン1~世界の夜明けの音楽

≪バリ≫バリのガムラン1~世界の夜明けの音楽

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: ワーナーミュージック・ジャパン
  • 発売日: 2013/11/20
  • メディア: CD



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幻視と瞑想のガムラン / ティルタ・サリ [ガムラン]

ちょっと前に、JVCから発売されている、ティルタ・サリの「絢爛と超絶のガムラン」を取り上げた時に、「以前はもう一枚発売されていたが、廃盤になってしまっている」と言う旨を書き添えた。

その問題の廃盤がこの作品。


幻視と瞑想のガムラン / ティルタ・サリ

vic tirtasari.jpg

スリーブを見ると、この作品の録音時期は1985年の1月とある。まだ、楽団の創設者であるアナック・アグン・グデ・マンダラ翁が存命中の貴重な録音だ。ちなみに録音場所はPeliatan Villageとのみある。音の響き方から察するに、床がタイル張りで壁はほとんど無い半屋外の比較的大きな開放的な建物で収録されたものだと思うのだが、車やバイクの騒音が聴かれない。多分、どこかのバレ・バンジャール(村人の寄り合い所)が収録会場になったのだと思う。いや、もしかしたらプリ・カレラン(マンダラ家)の敷地内の通りからかなり離れた収録に適した建物があったのかもしれないが・・・いずれにせよ、いくら30年近く前とは言っても、このような録音に適した静寂を保った場所がプリアタンにあった事は驚きだ。
その一方、数カ所で、少人数の拍手が聴こえる。おそらく、収録を目的とした演奏であることを知らない村人が音に導かれてやって来て、思わず拍手してしまったものだと思われる。録音者にとっては頭の痛いことだろうが、ま、バリにおいては万全の体勢を整えたつもりでも、予測し得ないような事態が起こる事はままあることで。と、言うより、100%思い通りに行く事などありえないので、この程度の事故で済めば御の字だ。

そうそう、肝心の内容。

アルバムは「絢爛と超絶のガムラン」でも収録されていた舞踊曲、Tarna Jayaで幕を開ける。緩急の差が激しい、実にダイナミックな演奏。比較的短いタームでテンポ・チェンジを繰り返す難しい曲展開において、実に制御の行き渡ったコントロール、及びコンセントレーション。番いリズム奏法で演奏されているフレーズの編み目模様がはっきり解る見事な演奏。Semar Pegulinganに特徴的なソリッドな音響的特徴が功を奏し、実に切れ味の鋭い印象の演奏。本来、操作性の良い、即ちGong Kebyar編成で演奏されることを前提とした作曲がなされているこの難曲をSemar Pegulinganを用い、この精度で演奏出来る事自体が驚異的だ。

続いて舞踊曲、Raja Palaであるが、察するにこの演目は1985年の来日公演に狙いを定めて創作された演目ではなかろうか?イベント的な演奏機会(例えば海外公演)があるとガムランの楽団はオリジナルを創作するのは良くある事だが、このレコーディング時点ではなんとなくこなれていない印象を受ける。僅かながら演奏の不手際も聴いて取れるし。まぁ、普通に聴いていたのでは解らないレベルではあるが。

3曲目は「絢爛と超絶のガムラン」にも収録されていた舞踊曲、Kebyar Trompong、これはそつなく決まっており、安心して聴いていられる。曲自体の魅力もさることながら、演奏が充分こなれており、堂々とした雰囲気を醸し出している。楽団の重要なレパートリーであることが解る。
察するに、この重厚な雰囲気は、当時、この舞踊のカリスマ的踊り手であったA.A.Gede.Bagus氏の舞踊表現を楽団が最大限に尊重した結果だと思われる。おそらくこの録音の収録時にもA.A.Gede.Bagus氏が踊っていたと思われる。

さて、アルバムはいよいよ大団円、控えているのは超有名舞踊曲、Legong Keraton (Lasem)なのであるが。

いやぁ、これは凄い。そもそもティルタ・サリの使用する楽器編成はレゴン舞踊の伴奏を大きな目的としているものなので、楽器の響きと曲の相性がいいのは当然なのだが、洗練された技量により曲の魅力が引き立っている。緩急の大きな実に情緒的な演奏。滑らかに、艶やかに、そして力強く、要所では激しさを表現しながら素晴らしいアンサンブル力と楽器の持つ音響的特性が見事な相乗効果を見せ、実にあでやかな印象。もちろん、演奏が乱れる局面は一切ない。誰が何と言おうが名演確定。

通常、この演目は20分程度の短縮バージョンで上演されるのが一般的なのだが、ここでは28分のロング・バージョンが披露されている。この28分を飽きさせる事無く一気に聴かせる。気がつくと音に没頭しており、魂を持って行かれそうだ。それほどまでに感性に訴える根源的な音の力がこの演奏には宿っている、と思う。


この作品、出来るだけ多くのガムラン愛好者、いや、音楽を愛好する者に聴いて欲しいのだが、冒頭でも触れたように、何故か廃盤なのである。音質も非常に良好で、収録曲数こそ少ないものの演奏内容も充実しており、俺が所持している数百に及ぶガムラン音楽の作品の中でもトップ5に入る傑作なのに、本当に理解に苦しむ。

JVCには、可及的速やかに再版を望みたいところだ。



何故か、同じ内容のUS盤が存在する。しかし、アメリカでプレスしているとは考えにくいので、おそらく、在庫のみだと思うが。

Indonesia: Gamelan Semarpegulingan 1

Indonesia: Gamelan Semarpegulingan 1

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: Wea/Sire/Discovery/Antone's
  • 発売日: 1994/07/12
  • メディア: CD



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絢爛と超絶のガムラン / ティルタ・サリ [ガムラン]

先日、久しぶりにガムランが聴きたくなって手が伸びた作品。久々にその良さを再確認し、3日連続で聴いてしまった。

Tirta Sariが1990年、3度目の来日時に録音した作品。名盤と言うにふさわしいクオリティ、選曲、そして演奏を披露している。


絢爛と超絶のガムラン / ティルタ・サリ

vic tirtasarigk.jpg

Tirta Sariは、本来、Semar Pegulinganの楽団であるが、この録音ではGong Kebyarのセットを使用している。ガムラン音楽に造詣が深い者なら、「え?Titra SariがGong Kebyar?なんかおかしいんじゃないか?」と思う事だろうし、俺自身も最初はそう思った。が、音階は通常Tirta Sariが使用しているSemar Pegulingan Saih Limaのセットと同じ調律がなされており、更に、一般的なGong Kebyar編成では使用されない、Semar Pegulingan Saih Lima編成において主に主旋律を担当する青銅製の鍵盤打楽器、Gender Rambatが編成に加えられているせいか、極端な違和感は感じない。とはいいつつ、この作品に収録されている曲で、Gender Rambatが大活躍する曲はあまり無いのであるが。ま、いい意味で音響的にはSemar PegulinganとGong Kebyarのハイブリッド版とも言える。

この作品、録音スタジオで演奏されているが、実にナチュラルな響きが印象的だ。おそらくスタジオに備わっていたであろう、リバーブ等の空間系エフェクターの使用をあえて避け、必要以上に原音を歪めることないように細心の注意が払われている。結果、場の空気感まで伝わって来て、まるで数メートル先で演奏しているかのようなリアルさである。

肝心の収録内容であるが、Peliatanで演じられることの多いセミ・クラシカルな器楽曲と舞踊曲、そして古典的作曲技法に則った新作の器楽曲一曲で構成されている。当然、演奏内容については文句のつけようが無い。

せっかくだから、収録曲を順番にみてみよう。

アルバムはSekar Jepun(器楽曲)で幕を開ける。1990年代中盤まで、Tirta Sariが公演のオープニングに頻繁に演奏していた名曲である。華やかな冒頭部分と重厚な終盤部分との対比が見事。個人的に大好きな曲である。

続いてKebyar Trompong(舞踊曲)、男装した女性の踊りを男性が踊る、という、なんだか屈折した設定の舞踊の伴奏曲。この曲はメロディーがしっかりしており、繰り返しの部分がほとんどない。ガムランというと、ミニマル・ミュージックとの相似点(短いフレーズの繰り返しにより曲が成立している)を指摘する知識の浅い音楽評論家も多いが、彼らの表層的知識を木っ端みじんにする曲である。あ、肝心の演奏はノリノリ(笑)。いやぁ、冗談じゃなくて、中盤以降の飛ばしっぷりは実に爽快。

3曲目はKapi Raja(器楽曲)、3分程度の短い時間にGong Kebyarの要素をぎゅっと濃縮させた密度の濃い曲。協奏曲風の冒頭部分、2台のKendan(両面太鼓)の掛け合いを中心に曲が進行して行く中盤、簡潔なメロディーながらも様々な楽器によってアンサンブルのバリエーションを提示しつつ、素晴らしいスピード感でぐいぐい押して行く終盤。そしてスリリングかつ豪奢なエンディング。名曲中の名曲。

さて、次に待ち受けるのは、古典的作曲技法による15分に渡る大曲、Yama Sari(器楽曲)である。ここでは主旋律楽器がTrompongとなり、伸びやかな演奏を聴かせる。要所で楔のように打ち込まれる力強いKendan(両面太鼓)の音が実に効果的。後半部分でフレーズの繰り返しの中でどんどんと演奏に熱気が帯び、このまま終わるかと思いきや唐突に展開する一瞬は鳥肌ものである。

続いてBaris、男性ソロ舞踊の代表格である。連射砲のように次から次へと繰り出されるパングル(バチ)を使用したKendanに突き動かされるように、時として緊張感をたたえ、時としてダイナミックに踊る姿が手に取るようである。この曲はガムランにせよ舞踊にせよ、まず子供達が最初に習う基本中の基本なのであるが、この作品での演奏は曲中の動と静、緩と急の対比も実にニュアンスに富んでおり、舞踊映像がなくとも鑑賞に耐える芸術音楽の域にまで昇華させている。

いよいよアルバムも終盤に差し掛かったところで繰り出される超有名曲、Ujan Mas(器楽曲)。この曲もKapi Raja同様、Gong Kebyarの魅力を濃縮したような曲だ。また、Gong Kebyarの器楽曲としては珍しく、冒頭部分のフレーズがオン・リズムで取れるためか非常に解り易く、かつ印象的で、この曲をきっかけにしてガムラン音楽に興味を持つものも多い。演奏は勿論完璧。

最終曲、Taruna Jayaはシンガラジャ地方で半世紀以上前に創作された舞踊曲であるが、キメどころ満載で、一瞬たりとも気の抜けない10分弱。短いタームで連打されていく重々しいゴング類の響きの上を青銅製鍵盤打楽器による細かいパッセージが絡み合い編み目模様をつくり、緩急豊かな音の塊がどんどんと熱気を帯びて来て一気にかけぬける様は圧巻。

以上。実に充実した内容。


俺の知る範囲では、意外にも本国インドネシア以外で発売されているTirta Sariの録音は、この作品とドイツの某レーベルから発売されている、とてつもなく録音状態の悪い作品、たった2枚であるので、(以前はVictorからもう一枚発売されていたが、なぜか廃盤のようである)日本でTirta Sariの音を聴きたくなったファンは否応無しに選択せざえるを得ない一枚だが、その価値はある。逆に、ドイツの某レーベルから発売されている物はお勧めできない。あまりにもミックス・ダウンが酷く、Tirta Sari本来の魅力が台無しになっているからだ。


さて、耳の肥えたガムラン愛好者であれば、この作品を聴いて、Yamasariとの相似点に気がついている筈だ。それは1996年から2000年までの第二期Yamasariが使用していた楽器の音階的特徴、及び音響的特徴がこの作品で使用されている楽器のそれと酷似しているからだけではない。

実は、この作品で音楽監督をつとめているC.A.Hendrawan氏は、後にYamasariの発起人となり、自らリーダーに就任するのみならず、この作品で演奏者としてクレジットされているメンバー中、実に3分の2が後にYamasariに移籍(注:一部はTirta Sariに出戻り)しているのだ。これらの事実を鑑みれば、当然、アプローチの方法、全体から受ける印象が似通っていても全く不思議ではなく、むしろ当然とも言える。また、この作品でお披露目されているYama Sariという曲も、この録音が行われた4年後に結成されたYamasariの楽団名となったのみならず、重要なレパートリー、いや、楽団のテーマ曲とでもいうべき存在として、同じくVictorから発売されている2作品、即ち「燦然と神秘のガムラン」「衝撃と絢爛のスーパーガムラン」の両方に収録されている。


Semar Pegulinganより操作性が良いとされているGong Kebyarを使用しているせいか、普段よりアグレッシブな印象のTirta Sari、そしてここから分派していくYamasariの予兆が感じられる作品。ガムラン愛好家なら必聴である。

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