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The Next Day / David Bowie [Rock]

How To Destroy Angelsの新譜を取り上げようと思ったが、やはり、こちらが先だな。


Let's Danceでカルト・ヒーローからメジャーなポップ・スターへと大転身したDavid Bowieは、Let's Danceの大ヒット以降、そこそこの成果は上げてはいたが、世の中の過剰ともいえる期待に充分に応えられるような作品を発表出来ていなかった。これがプレッシャーとなったのか、ついには「シンプルなロックに回帰する」と、自らのバンド、Tin Machineを結成、「ソロ時代のヒット曲とは決別する」と明言。ところがその舌の根も乾かないうちにソロ・ツアーを敢行するというでたらめなことを行うも、再びTin Machineに戻り、作品を発表するが散々な結果に終わる。Tin Machine名義での活動に見切りをつけたBowieは、解散宣言もせずにソロ活動に復帰、2〜3年に1作のペースでコンスタントに作品を発表するが、もはやかつての勢いはなく、今ひとつ突き抜けていない感は否めなかった。

正直言って、ソロ復帰後の作品群、即ちBlack Tie White Noise以降の作品群は、俺にとってはどうでもいいものばかりで、それぞれ1~2回くらいしか聴いていない。中には聴いていない作品もある。時代の音を牽引していた筈のBowieが、時代に翻弄され、自分すら見失っているいるように見えた。

そして、2003年のReality発表後は新作の噂さえ無くなり、Brian Enoをも含むBowie周囲の人たちの口からも、「Bowieは制作意欲を失っており、復帰はないだろう」という声が聞こえ、事実上の引退をしたものだと思っていた。

ところが、何の前触れも無く10年ぶりの新作発表の知らせが届いたもんだから、そりゃあもう驚いたのなんの。iTunes Storeで先行発売されたWhere Are We Now?は、Bowieらしさは感じられるものの、今ひとつ煮え切らないバラードだったが、この曲が新作の全てを象徴するわけではあるまい、と信じてフルレンス・アルバムの発表を待ったさ。

The Next Day / David Bowie

david bowie.jpg

David Bowie、奇跡の復活作。

Let's Dance以前からのファンだった誰もが驚いたと思われるのがそのアート・ワーク。俺は発売前に広告で見た時、「まだ決まっていないのだな」と思っていた程だ。なにせそのデザインたるや、名盤、Heroesをそのまま借用、中央を白抜きにし、アルバム名を配置するという大胆なもの。よく見れば、元々のジャケットに記されていたHeroesの文字までが二重線で消されているという念の入れよう。かつて、Ashes To AshesでZiggy Stardust時代を完全否定したBowieであるが、今度はベルリン三部作を否定するつもりか?それならいまさら断るまでもなく、とうの昔にLet's Danceでやってるじゃねぇか(笑)。


さて、肝心の内容だが。


これは、『あり』だ。


全体の印象はLet's Danceの抜けの良さに情緒性を盛り込んで細やかさをも表現した、といった感じか。曲はバラエティに富み、どの曲も(ボーナストラックは除く)それなりに魅力的、かつ解り易く、すっと耳に入ってくる。意外にもデカダンな魅力も取り戻しており、グラム時代を彷彿とさせる曲もある。

Bowie本人の歌唱力が衰えているのでは、との不安があったが、若干声に張りが失われたようにこそ聴こえるものの、思っていた程ではなく、ボーカル・アレンジもよく創り込まれており、表現力の豊かさは変わっていないように聴こえる。

演奏面では決定的な欠点は無い(当たり前か)。全ての音が綿密に計算され、注意深く演奏されており、感情に任せた荒さは一切感じさせない。が、これと言って飛び抜けたところもないのは残念。ベースパートにおいては、達人、Tony Levinも数曲で参加しているが、スリーブの曲別のクレジットを参照して初めて気がついた程、バックミュージシャンとしてBowieをサポートすることに徹している。ギタリストにはEarl Slickもクレジットされているが、相変わらず存在感がない。と、いうか、この人、自身の存在感を出したことがあるのだろうか?過去にBowieの作品で素晴らしい結果を出したギタリスト、即ちRobert FrippやStevie Ray Vaughan等の雰囲気を出す事を要請されていると思しき局面が複数箇所あり、それに応えようと努力はしているようだが、当然、物真似の域を脱していない。まぁ、複数名がギターで参加しているので、懸案のプレイを行っているのがEarl Slickかどうかは判らないが、自分らしい音を持たず、小器用にこなせるギタリストはこういう無茶振りをされてしまいがちなのだな。まぁ、俺はロックをギター中心に聴いてしまいがちな傾向があるので、ギタリストに対する評価が厳しくなってしまうのは許して欲しい。

残念ながら、ベルリン三部作で聴かれた、別次元に表現が広がっていく可能性を感じられるような実験性はない。ま、これはジャケットのデザインが物語っているが。
この作品を傑作と断言してしまっていいのか、自分でもまだ判断が出来ない。が、少なくとも俺はScary Monsters以降のBowieの作品の中では一番好きだし、購入以降、毎日聴いている。つまり、ギターを中心にロックを聴いている者がギターのプレイに魅力を感じていなくとも飽きないほど良く出来たアルバム、と言う事だ。


結論。必聴。次はいつか解らない、というより、多分、次は無い、と思う。



The Next Day

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  • 出版社/メーカー: Sony
  • 発売日: 2013/03/12
  • メディア: CD



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追悼、Alvin Lee [Rock]

Alvin Leeが死んだ?!

ありえねぇ。

Woodstockで自らのバンド、Ten Years Afterと共に、超ド級のロケンローをぶちかましたあのAlvin Leeが死んだなんて!



Woodstockでのあのプレイは俺にとってのバイブルでもある。GIBSONのES335を勇猛果敢に掻きむしり、奇声を上げるあのテンションの高い演奏は伝説的だ。

俺もRock'n'Rollバンドをやっていた時、ES335モデルを使用していた時期がある。勿論、Alvin Leeを意識してのことだ。当時は、ES335と言えばフュージョンギタリストが好むギターという評価が定着しており、「なんでそんなギター使ってんだ?」と言われたが、ほんとにもう、解っちゃいねぇな。俺にとってのES335とは、「Alvin Leeのギター」に他ならないのだ。

いやぁ、もう本当に言葉が出てこない。冥福を祈る、だけでは言い表せない。


Rockは神を失った。

 


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LIKE RATS / MARK KOZELEK [Rock]

Red House Painters解散後、Sun Kil Moonを主宰しつつ、ソロ活動を積極的に行う鬼才、Mark Kozelekの新作。俺はMark Kozelekのカントリー・テイストを纏いつつも醒めた雰囲気を漂わせる音の大ファンで、作品を見かければ購入するようにしているのだが・・・


LIKE RATS / MARK KOZELEK

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この人、色々な意味で節操が無い。Sun Kil Moonとしての活動とソロ名義の活動も明確に分けられていない。Mark Kozelek本人のみしかレコーディングに参加していない作品もバンド名義で発表したりしているし、ソロのライブ盤ではソロ作品として発表した曲のみならず、バンド名義で発表された曲も演奏・収録していたりする。ま、著作権者はMark Kozelek本人なのだろうからさほど問題はないのであろうが、そのライブ作品が、この数年、尋常ではないペースでリリースされているのだ。
実はこれらライブ盤の多くは、所属(主宰?)するレーベルの商品をメールオーダーした者に無料配布される、いわばボーナスディスクだったりするのだが、そのボーナスディスクさえもインターネットでダウンロード販売されちゃうと、何聴いても似たような音だし、もうどうしていいんだかわかんねぇや、俺(笑)。

この人の作品創りで何より驚くのは、まったくジャンルの異なる他人の曲のカバーを頻繁に行うことである。元ネタはプログレからパンクまでなんでもあり、そして、原曲のオリジナリティに対する敬意はほとんど払わず、自分の歌い易いようにアレンジを加え、下手するとメロディーさえ変えてしまう。勿論、著作権協会にはちゃんとした楽曲の使用料は払っているんだろうが、あそこまで原曲のイメージを変えてしまうと、気分を害する著作権者だっているに違いない。いままでトラブルが起こったことはないのだろうか?

この作品も、ざっと曲名を見ただけで、Yesや、Genesis、Misfits等のカバー曲が散見される。もしかしたら俺が知らないだけで他の曲もカバーだらけなんじゃなかろうか、と、オフィシャルサイトを確認したところ、なんとこのアルバムはカバー曲のみで構成されているようだ。全くよくやるよ。
ひっくり返ったのがアメリカン・ハードロックのアンセムとも言えそうな超有名曲、Ted NugentのFree For Allのカバー。さすがにこの曲は「それなり」に、原曲らしさを残した編曲がなされており、一聴しただけで、「まさかと思ったが、やはりこの曲だったか・・・」と納得したが、もしあの曲を跡形も無い滅茶苦茶なアレンジで演奏したら、血の気の多いかつてのHells Angels達が徒党を組んでコンサートを潰しに来たとしても、俺は全く驚かないね。

まぁ、それはさておき。

肝心の演奏内容は、アルベジオを多用するアコースティック・ギターとボーカルを中心に据え、簡潔かつ控えめのベースが要所で補強する形で構成されている。一曲のみ、スネアのブラッシュュワークらしきものが聴こえる曲があるが、あまりにも音が小さすぎてよく解らない。いずれにせよ、いたってシンプル。アコースティック・ギターは複数本聴こえる局面がある。ダウンロード販売で購入した為、文字情報がほとんど無いので断定できないが、多分、Mark Kozelek、本人一人による多重録音だと思われる。コーラスに至っては何をか言わんや、すべてMark Kozelekの声である。

そして全ての曲が他人の曲であるにも関らず、前述のように、Mark Kozelekの手によって全く原曲と異なる独自の雰囲気を漂わせる作品に生まれ変わっている。このあたりのことが、この人が『鬼才』と評される所以の一つだろう。
しかし、それはアレンジの妙のみによって決まるものではなく、Mark Kozelekの声が持つ独特の雰囲気も大きく作用していることは間違いない。声質は全く異なるが、Peter GabrielやPeter Hammille、Robert Wyatt等のカリスマが持っている、『声による魔力』とでも言えそうなものをMark Kozelekもまた持っているのだ。彼がアコギをつま弾き、淡々と歌い始めると、もうそこは荒涼とした砂漠にたたずむ廃墟。決して昂る事の無い歌唱、そして演奏。ただただ淡々と時間だけが流れて行く。いや、時間すら止まっているかのような錯覚さえ起こさせる。事実、俺は彼の作品を一旦聴き始めると終わるまで気がつかないことがままある。さっきもこの文面を打ち込みつつ当該作品を聴いていたが、「え?もう全部聴いちゃったの?そんなに時間が経っていたのか?」と、驚いた。

前述の通りなので、この作品にロック・スピリット溢れる演奏やメッセージ性をもった熱い歌唱は望むべくもないし、Slow Coreの重要人物とされたかつての評価を現在のこの音から感じ取れるかどうかも怪しいところであるが、要は、この、やる気のなさそうな醒めた声に魅力を感じられるかどうかがMark Kozelekを好きになれるかどうかの分かれ道である、と思う。

もちろん、俺はこの声に非常に抗いがたい引力を感じている。



Like Rats

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  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: Caldo Verde
  • 発売日: 2013/02/19
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Captured Live! / Johnny Winter [Rock]

ある看過出来ない話を入手し、矢も盾もたまらなくなって久しぶりに聴いた。

1976年発表、100万ドルのブルース・ギタリスト、Johnny Winterのライブ盤。

Captured Live! / Johnny Winter

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随分前にこのブログでも取り上げたが、Johnny Winterはこの作品の5数年前もJohnny Winter Andというバンド名義で(バンド名義っつったって、Andって何だよAndって)ライブ盤を発表している。が、内容はと言えば、複数のライブの寄せ集めの様で、音質もバラバラ。音のバランスもバラバラ。俺の記憶に間違えがなければ、「エンジニア誰それにスペシャル・サンクス。なぜなら奴は少しはましにアルバムを仕上げてくれたから」という、謝辞だか嫌みだかわからん但し書きがクレジットにあったような。まぁ、収録内容は置いておくとして、懸案のライブ盤はJohnny Winter And(だからAndってなんだよ)のライブの疑似体験と言うにはほど遠いものだった(それでも大好きだが)。

さて、1971年のライブ盤から5年後のこの作品、名義はJohnny Winter個人である。勿論、バックバンドは存在しており、暴走しがちなJohny Winterをがっちりサポートなんかせず、暴走を煽っている(笑)。サイド・ギタリストにもソロを弾く権限を与え、Johny Winterはブルース・ギタリストらしい豊かなバッキング・フレーズで対抗しつつも一歩譲る姿勢を見せるが、肝心のJohnnyのソロ部分でサイド・ギタリストがJohny Winterに勝負を挑むかのようにソロに割り込んでくる。勿論、Johnnyは一歩も引かず、「こら、調子に乗んな」とばかりにソロを弾き続ける。それでもサイド・ギタリストはソロをやめない。

もー、立場わきまえなさいってば。

俺的常識で考えれば2名のギタリストがかけあいをするでもなくハモるでもなく、自由裁量によるソロを同時に弾くなんて常軌を逸しているし、スター・プレイヤーとしては求心力を疑われそうなものだが、こうして作品として発表していることを考えれば、彼らにとっては「火花飛び散るインタープレイ」ってことになるんだろうな。そういえばJohnny Winter Andのライブ盤(だからAndって!)でも似たような局面があったな。

収録されている全6曲中、スロー・テンポでじっくり聴かせる「これぞブルース!」と言えるのは最後の1曲のみで、あとはアップテンポのロックンロール。自分の曲だろうと他人の曲だろうと関係なく、豪快に自分流に弾き飛ばす。リードギターをぐいぐい弾いているときにしろ、サイドギターを自在に弾いている時にしろ、圧倒的な存在感を放出している。ハスキーなボーカルも実に味わいがある。アルバム全編を通して、「どこからでもかかってきやがれ」っていう自信が音から感じ取れる。このライブをJohnny Winterのベストに挙げる者も多いようだが、これ以降、Johnny Winterは原点回帰し、ロックンローラーとしてより、ブルース・マンとしての活動に重きを置くようになる。つまり、このアルバムはJohnny Winterのロックンローラーとしての総決算的アルバムなのだ。

それにしてもこんな素晴らしいプレイが詰まったライブ・アルバムがたった6曲、45分だなんて物足りなさ過ぎる。なんで2枚組で出してくれなかったんだろう?もし、温存している録音があるなら早いところ出して欲しいものだ。


ところで、俺は全く知らなかったのだが、2011年3月11日の東日本大震災による福島第一原子力発電所の事故の影響を懸念し、多くの外タレ(死語?)が予定されていた来日をキャンセルする中、Johnny Winterは事故からさほど時間が経過していない4月に予定通り初来日、複数公演をこなし大盛況だったそうだ。
ちくしょー!なんで誰も教えてくれなかったんだよー!知っていたら絶対行ったのにー!

腹が決まってっからあんなすげーギターが弾けるんだな?

このやろー、熱いじゃねーか、ブルース魂!



Captured Live

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  • 出版社/メーカー: Sbme Special Mkts.
  • 発売日: 1990/01/16
  • メディア: CD



Johnny Winter and...Live

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  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: Columbia
  • 発売日: 1999/10/07
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LET'S DANCE / DAVID BOWIE [Rock]

この作品についてはいつか言及しようと思っていたし、事実、何度も草案を書いた。が、何度書いてもまとめられなかった。

「理由は俺がこの作品を色眼鏡で見ているせいではないか?」と思い当たり、5~6回程度、心を無にして分析的に(無にしてねーじゃん)聴いた。

その結果。

作品としては時代背景を考えれば傑作。現在でも聴くに耐えるクオリティであることを確認した。

しかし、やっぱり俺は割り切れない。


Let's Dance / David Bowie

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T.REXなどと並び、70年代初頭にグラム・ロックの寵児となったDavid Bowieが様々な紆余曲折を経た後に、米国から発信した大ヒット作。1983年発表。

内容はと言えば、キャッチーな曲調、無駄を極限まで省きつつ、軽いゲート・リバーブをかけたタイトなドラムに代表される効果的な音響処理を施し、難解な音、実験的な表現は徹底的に排除し、『誰でも気持ちよく聴ける』ように巧く作られた80年代ロックを代表する傑作である。特筆すべきは当時まだ無名だったStevie Ray Vaughanの大抜擢。で、あるが、ところどころ、プレイに迷いがみられる。
以前も触れたことがあるが、David Bowieの作る曲は単純そうに見えるが、ギタリストが弾き易いような曲ではない。手癖がほとんど通用しないのだ。Stevie Ray Vaughanもスタジオに入ってから「しまった。甘く考えてた…」と思ったに違いない。が、その妙につっかかる感じ、控えめのフレージングが効果的に作用して、いい感じに納まっており、皮肉にも彼の迷いは作品に大きく貢献していると言える。逆になんでもこいの超絶技巧の論理派ギタリストがよどみなくペラペラペラペラと弾きまくったら、この作品は台無しになっていたはずだ。


と、ここまでは一般論であるし、異論のないところだと思う。一部、Stevie Ray Vaughanの盲信者は快く思わないかもしれないが。

いずれにせよ、Let's Danceは作品として良く出来ているし、気持ちよく聴いていられる。このアルバムから確か3曲もヒットが生まれており、いわゆる捨て曲もない。現在の基準で聴いても一級品だ。これは認める。

しかし、David Bowieがグラム・ロック時代からのファンだった俺たちは、この作品を素直に受け入れられなかったのも事実。

Ziggy Stardustのキャラクター返上後、Station To StationやYoung Americansでのホワイト・ソウルへの実験的試みについては、音的には受け入れがたい部分もあったが、可能性の広がりを模索するそのアーティストとしての貪欲さは支持したさ。その後ベルリンに拠点を移し、Lowという、ボーカリストとしては限界まで実験的な作品を発表、続くHeroesでは神々しささえ感じられる作風に圧倒され、俺たちは「やっぱりBowieは凄い」と思ったよ。ベルリン3部作最終のLodgerはヨーロッパ的暗さから一歩踏み出し、開放感と緊張感の両方をあわせもつ佳作だったと思う。そして拠点を米国に移しての第一弾、Scary Monstersで、極限まで自分を追い込み過去と決別、演奏面においては圧倒的な力量を持つメンバーに恵まれ、リリカルで強靭、繊細かつ攻撃的な表現を行い、誰も到達出来ない、誰にも真似出来ない高みに登りつめたと当時のファンは思った。と、同時に「Bowieにこの先はあるのか?いや、Bowieに限らず、Rockの表現としてこれ以上のことが実現可能なのだろうか?それをやるとしたらやはりBowieしかいないのだろうが・・・」と心配になった。ああ。俺も心配したさ。

それがなんだい。3年待たせておいて流行の音響処理で大衆歌謡かい。カックンだよ。


つ、ま、り、だ。

Let's Danceは、流行音楽を消費的に聴く優良なリスナーにとっては80年代を代表する大傑作であろう。しかし、カルト・スターであった時代を知っているファンにとっては腰砕け、しかし素晴らしい内容は認めざるを得なかった悩ましい作品なのだ。


この後、BowieはTonightとかいうつかみ所の無い作品を発表、ちょっとだけグラム・ロック風の演出が施されたプロモーション・ビデオでMTVを賑わせたが、その内容は非常に薄いもので、誰の目にも失敗は明らかだった。その後、往生際の悪い事にLet's Danceの二番煎じとも言える、Never Let Me Downを発表、自ら息の根を止める。いや、二番煎じは商業的に考えれば悪い手法ではない。しかし、間に全く別の印象の作品を挟んだことが失敗なのだ。俺のBowieファン歴はここで終わる。

その後のBowieの迷走、凋落ぶりは周知の通りである。ま、それでもこの作品で一世を風靡したのだから、後は衰退するしかなかっただろうし、本人も重々承知の上で大胆に舵を切り、ポップ・スターへと転身したのだろう。




Let's Dance [ENHANCED CD]

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  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: Virgin Records Us
  • 発売日: 1999/08/26
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