キングレコードの民族音楽シリーズリニューアル [ガムラン]
さて。
先日、某大手CDショップに寄ったところ、充実した内容の民族音楽のコレクションを持つ、キングレコードのWorld Music Libraryのシリーズが、新たにThe World roots Music Libraryシリーズという名前でリニューアルしていた。
俺の覚えている限りでは、90年代中盤までこのシリーズは¥2,500で販売していた。が、2000年あたりにタイトルを削り、装丁を若干変えて¥2,000にプライス・ダウン。更に今回は一枚ものは¥1,800、二枚組みでも¥2,800と大盤振る舞いだ。
このシリーズから発売されているガムランのCDはほとんど(全部?)所持しているが、一応チェックせねばなるまい。
おお、なんとなんとあるぞあるぞ。予想に反して今までリリースされていなかった録音が。今回の企画は前回のプライスダウン時のような縮小方向ではないようだ。この方針は大歓迎である。
めぼしいところではバトゥアンのガンブー劇を収録した二枚組み、スカワティのワヤン・クリの模様を収めたこれまた二枚組み。両方ともかなりマニアックではある。しかし、特に数年前に逝去されたグンデル・ワヤンの巨匠、ロチェン氏の在りし日の演奏をグンデル・ワヤンの演奏のみではなく、ワヤン・クリの伴奏として発売した英断には快哉を叫びたい。購買層はかなり限定されると思うが、資料的な価値は限りなく高い。当然、両方とも購入。
これらのタイトルもそうだが、録音の多くは一部を除き1990年。旧World Music Libraryシリーズのバリ音楽はほとんどが1990年録音だ。以前から気が付いてはいたが、この年に大々的な取材旅行を敢行、大量の録音を行い、温存していたようだ。(マニアック過ぎるものはお蔵入りいりになっていた、という見方も不可能ではないが)
ま、それはさておき、一時期廃盤になっていたティンクリックの録音も「スカワティのティンクリック」という名前で復活!これはかなりお勧めである。俺は初版を持っているので改めて買うつもりは無いが、バリ好きでこのCDを所持していない者は絶対にこの機会に購入すべきである。
残念なのは、個人的に「ガムラン音楽入門編としては世界一!」と思っているオムニバス盤、「青銅のシンフォニー」が再発されていないことだ。ゴン・クビャール、スマル・プグリンガン、ゴン・グデ、バラガンジュール、スロンディン、グンデル・ワヤンと、非常にバランスの良い選び方をし、それぞれの内容が素晴らしいものだけに惜しまれる。特筆すべきは、スマル・プグリンガンが二曲、それもチューニングが異なるビノーの楽団とタガスのグヌン・ジャティを一曲づつ収録していることだ。
さて、上記の2楽団の作品も「幻のガムラン~バリ・ビノーのスマルプグリンガン」、
「輝きのスマルプグリンガン~グヌン・ジャティのレゴン・ラッサム」(両方とも初版時の名前)で個別に発売されており、当然今回も再版されている。勿論、俺は両方とも発売と同時に購入しているのでスルーしようとしたら・・・
あれれれれれれ?なんで二枚組みなんだ?俺が持っているのは両方とも一枚ものだぞ?
内容を確認してみると、両作品とも一枚目は既発のCD、二枚目が今まで未収録だった録音で構成されている・・・ご丁寧に帯にも「一枚目は既発の録音と同内容です」という意味の但し書きがある・・・なんで別々に発売してくれないんだよ~
さらにそれぞれの二枚目には前述の「青銅のシンフォニー」に収録されていた録音も含まれているじゃねぇか・・・
これはグヌン・ジャティの初版のジャケット
こっちが新しいジャケット
これはビノーの初版のジャケット
こっちが新しい方。
写真も全て使い回しである。ま、間違えなくていいけどさ。
で、どうしたかって?両方とも買ったさ。ええ。買いましたよ。
感想だが・・・悪いわけないじゃないか。ビノーの二枚目は既発のCDにはなかったレゴンを中心とした構成。柔らかな音で奏でられるレゴンは最高に心地よい。午睡を誘うたおやかな演奏だ。
一方のグヌン・ジャティの二枚目は小品を中心とした構成。儀式でしか聴けないような古典曲も含まれている。じっとりとした湿気を孕む漆黒の暗闇に切り込んでくるような鋭くも枯れた音色と演奏は絶品である。
前述の通りなので、「青銅のシンフォニー」でしか聴けない曲は2~3曲になってしまった。この際だから、バリの音楽集大成的なオムニバス盤を三枚組みくらいのボリュームでドカンと出して欲しいものである。
ちなみに今まで一枚もので発売されていたスアール・アグンのジェゴグも同様に二枚組みで発売されている。当然、一枚目は既発の録音と同じである。現在、購入しようかどうか検討中である・・
- アーティスト: スアール・アグン=サンカルアグン村 対 プンダム村からのグループ,スアール・アグン,ジェゴッグ・プンダム
- 出版社/メーカー: キングレコード
- 発売日: 2008/07/09
- メディア: CD
ウィンドゥ・レスタリ [ガムラン]
そういえば、この作品のことについて触れていなかった。
Tabuh Langsing Tuban / Windhu Lestari
プンゴセカンに本拠地を置く、スマル・プグリンガン・サイ・ピトゥの楽団、ウィンドゥ・レスタリの作品集である。いや、プンゴセカンに本拠地を置く、というのは正しくないかもしれない。楽器自体は俺の定宿である、パダン・テガルのデワ・バンガローという宿泊施設の敷地内に置かれており、練習もここで行われているからである。
実は、この楽団の前身は、パダン・テガルに本拠地を置くジャヤ・スマラという楽団であった。当然、使用している楽器も同じである。また、日本の自主制作レーベルからCDも発表している。
(注:残念なことに、このレーベルは現在は活動を停止してしまっているようである)
詳細は以下を参照されたい。
http://www.ne.jp/asahi/gustimoto/peligei/cstcd/jsemara.html
さて、儀礼の場での奉納演奏を中心に順調な活動を続けていたジャヤ・スマラであったが、後に内部分裂を起こし、主要メンバーが複数名脱退、楽団の維持が不可能となり、楽器は中に浮いてしまった。使用されない楽器は楽器として存在する価値を失ってしまう。そこで名乗りを上げたのがプンゴセカンの有能な音楽家、ダユ氏である。この楽器を有効活用しようとダユ氏はプンゴセカンの若者を中心にメンバーを募り、新しい楽団として再編成、徹底的に叩き上げて現在の完成度にまで到達させた。これがウィンドゥ・レスタリ発足の経緯である。
このCDに収録されている曲目は、いずれもスマル・プグリンガン・サイ・ピトゥの特徴が良く出た、優美な古典器楽曲ばかりである。前述のジャヤ・スマラのCDとかなり収録内容が重複しているが、ジャヤ・スマラ時代と比べるとあまり冒険的なことはせず、より基本メロディーに忠実に堅実な演奏が心掛けられており、聴いていて安心感がある。これが良い方向に作用し、何回もリピートして聴ける良作となっている。ま、もともとスマル・プグリンガン・サイ・ピトゥという編成は、王宮でバック・グラウンド・ミュージックを奏でることを目的にしていたことを考えれば、本来あるべき形に収まった、とでも言うべきであろうか。
残念なことに、この作品は一般販売しておらず、楽団員の手売りのみで流通している、いわゆる自主製作盤である。媒体もCD-Rであるが、音質、演奏内容共に素晴らしく、俺が所持している数百点のガムランのCD・カセットの中でも5本の指に入るお気に入りである。可能であれば是非一聴することをお勧めしたい。
(注:ウブドのハヌマン通り中ほどにあるデワ・バンガローに併設されたギャラリーでならいつでも入手可能である。)
愛器(ルバブ) [ガムラン]
ルバブはバリのガムランの編成中、唯一の弦楽器。アンサンブル中ではメロディー、オブリガートを担当する。
で、これが13~4年前、俺が初めて入手したルバブである。
購入しに行った店には4~5本のルバブが置いてあり、全ての楽器を手にとって音を確かめた。とは言っても、初めて触る楽器なので、まともな音は出るわけなかったが、その中でも、まぁまぁこいつならいけるんじゃないか、という直感で選んだのがこの個体である。
楽器の構造は胡弓類とほとんど変わらない。中を空洞に彫り、表面に牛の内臓膜を張った木製の共鳴体を胴体とし、棹と胴体の下部にある脚部は胴体部分を貫いている支柱によって接合されている。
棹の上部には糸巻きが左右に不必要な程長く張り出している。さらに棹は上部に向かって先端に行くに従ってしだいに細くなりながら20センチ以上も長く延びているが、これは単なる装飾以上の役目は果たしていない。
弦はブロンズ製の長い1本を脚部にある支点で折り返し、2本にして張るのが本来の形であるが、バリではギターの弦、もしくは金属製の釣り糸が使用されることが多い。
演奏方法は
ヤマサリ(燦然と神秘のガムラン) [ガムラン]
夏らしくなってきたことだし、久々にガムランである。
以前もここにしたためたように、10年以上前の一時期、特種な事情があり、時間の許す限りガムラン音楽を聴きまくっていたが、最近はあまり聴かなくなってしまっていた。が、先週末、日本の某ガムラン楽団から客演依頼があり、「予定演目は全て身に染み付いているから事前に練習する必要なんか無いだろ」と、個人練習もせずに気楽に応じて演奏してきたところ、絶対に覚えていると確信を持っていた曲を間違えてしまった・・・
「こりゃまずい」と、現在聴き直している最中である。
燦然と神秘のガムラン / YAMASARI
YAMASARIとの出会いは確か1994年だったと記憶している。俺がバリに長期逗留し、ガムラン音楽を勉強していた時期だ。師事していた先生がTIRTA SARIという楽団に所属しており、数ヶ月の特訓を経て、俺もTIRTA SARIのステージで演奏をするようになっていたある日のこと、演奏会終了後、TIRTA SARIの音楽監督、C.A.Hendrawan氏が珍しく俺に声をかけてきた。
「最近、新しい楽団を立ち上げたんだ。今度、演奏会を開催する予定があるから、お前、観に来い」
「はい、是非お邪魔します」
「あ、演奏会は録音しておくんだぞ?忘れるなよ?」
「・・・はぁ・・・」
かくして招かれた演奏会での公演内容はバカテクの応酬の嵐、動と静、力強さと優美さの対比が見事で、格調の高さを感じさせる素晴らしいものだった。また、楽器の調律も今まで聴いたことがないもので、それがまた独特の雰囲気を醸し出していた。
終演後、C.A.Hendrawan氏が俺に歩み寄ってきた。
「どうだった?」
「いや、これは凄いですね」
「いしししし、そうだろうそうだろう」
「楽団の名前はなんて言うんですか?」
「これはな、YAMASARIって言うんだ。来週また演奏する予定があるから、そのつもりで用意しておくようにな」
「は?そのつもりってどのつもりですか?」
「だから、次回からお前もYAMASARIの演奏に参加するのだ」
「そんな無茶な。だってレパートリーだって知らないのに・・・」
「ちゃんと録音したんだろ?それを聴いて練習して来ればいいのだ」
「でも、レパートリーはあれで全てじゃないんでしょ?他の曲を演られたら対応出来ませんが・・・」
「面倒くさいこと言うな!いい機会だ。プリアタンで演奏されている曲は片っ端から練習して来いっ!」
という超乱暴な経緯があって(笑)俺も参加することになったのである。
さて、肝心のこの作品だが、1996年の初来日に合わせて発売されている(録音時期には俺は日本に居て演奏には参加していない)。演目はオリジナル器楽曲3曲、オリジナル舞踊曲1曲、古典舞踊曲1曲、近代器楽曲1曲で構成されている。オリジナル器楽曲の3曲については、以前、このblogでも紹介した日本盤の2作目にも収録されている。
楽団としてはオリジナル曲を聴いて欲しいところだし、勿論これらのオリジナル曲は古典的手法の現代的解釈、そして若干の遊び心が余裕を感じさせる名演であるが、(遊び心とは何を指すのかはここで触れるのは止めておく)一般リスナーにとってこの作品の価値を最も高めているのは古典舞踊曲、Legong Jobogであろう。
Legongという種類の舞踊は『バリ舞踊の華』とも言われ、様々なバリエーションがあるが、通常はLegong Lasemという曲が収録されることが多い。バリ島で発表されているCDやカセットには他のバリエーションも収録されているものもあるが、海外で発売されるCDではほぼ例外なくLegong Lasemが選ばれている。これは、海外での発売となると、どうしても『ガムラン音楽の紹介』的な扱いにならざるを得なく、最も有名な曲を選びがちであることに由来しているのだと思うが、YAMASARIはあえてその選択肢を採択しなかった。その理由は実際にこのCDを聴けばわかるはずだが、通常は単調になりがちなLegon Jobogの演奏が、舞踊映像が無くても観賞に耐える程に演奏が緩急に満ちた芸術音楽の域に達しているからだ。特に楽曲が単純な繰り返しに入る10分あたりから終盤にかけての演奏の緩急の付け方は見事である。
また、最後に収録されている近代器楽曲、Kapi Rajaは、1929年(だったと思う)にパリの植民地博覧会で初めてバリの楽団が海外に紹介されたときに序曲として作曲されたものであり、3分程度と短いながらもガムラン音楽の魅力を濃縮した名曲中の名曲であり、様々な楽団がレパートリーに取り入れているが、このCDに収録されている演奏ほど集中力とパワーに満ちた演奏にはついぞお目にかかったことがない。それもそのはず、YAMASARIのリーダーであるC.A.Hendrawan氏は、植民地博覧会で演奏したGunung Sariという楽団のリーダーを若い頃に務めていたこともあり、また、2~3年前にGunung Sariの要請によってYAMASARIとの兼任で再びリーダーの座に着任している。つまり、この名曲の正当な継承者と言えるのだ。
1952年のグヌン・サリ [ガムラン]
先日、某大手CDショップで、見たこと無いガムランのCDを発見。ジャケットの文字情報を解読すると、どうやら1952年のGunung Sariのアメリカ~ヨーロッパ公演の際に録音されたもののようだ。
こんなもんがあったなんて全然知らなかった・・・ガムラン愛好者がこれを買わずして何を買うと言うのだ?即刻購入!
Dancers Of Bali : Gamelan Of Peliatan. 1952
実は、海外の某レーベルからも、このGunung Sariのアメリカ~ヨーロッパ公演の模様のライブ盤が発売されているのだが、ものすごい音質の悪さに辟易した記憶がある。
あの作品の音質の悪さはテープが劣化しているとか、そういうレベルではない。明らかに金属系鍵盤楽器のアタック音でオーバーロードが発生しており、収録時点で歪んでしまっているのだ。個人的には、『媒体の音質の悪さに収録された内容の芸術性は左右されない』とは思ってはいるのだが、我慢にも限界というものがある。音像がはっきりしない、とか、ホワイト・ノイズが多い、とかならどうにか我慢が出来る。しかし、ガムランのアンサンブルの中心はアタック音の鋭い複数のメタロフォンであり、このアタック音が「グシャーン」と歪んでいると耳障りで耳障りでどうにも救いがない・・・
この作品の音質も似たようなレベルであることを覚悟しつつ聴いてみたのだが、意外にも聴くに耐えないほどではなかった。もちろん、良好とは言いがたいが、半世紀以上前の録音であることを考えれば充分許容範囲だ。
内容はGunung Sari楽団の特徴とも言える、過度に情感に訴えたりしない潔い演奏。曲が加速する時の突っ込む感じは絶品。使用している楽器の音響的特徴を熟知した上での編曲がなされていることがわかる。名演と言えると思う。
難を言えば、編成がフルではない、とか、曲がやたらカットされている、とか、収録場所に起因すると思われる残響が不自然、とか、まぁ皆無ではないにせよ、音質も贅沢言わなければ鑑賞に堪えるし、資料的価値の高さははかりしれないし、なにより演奏内容が興味深い。久々に面白いガムランのCDを見つけた気がする。