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Valtari / Sigur Rós [Post Punk / Post Rock]

Sigur Rósは俺が注目している数少ないバンドの一つである。個人的には、2ndアルバム、Ágætis Byrjunが最も気に入っており、ロック史上に残る名盤であるとさえ思っている。あの深い森の奥から聴こえてくるような音世界には神々しささえ感じていた。

ところが、直前のスタジオ作品、Med Sud I Eyrum Vid Spilum Endalaustではどういう意識改革があったのか、やたらと生々しい音でフォーキーな雰囲気に一変してしまっていた。それまでの彼らの最大の魅力である混沌の美とでもいえるような「整合性のあるサイケ感」が薄れており、正直、がっかりした。その後、どこからか解散の噂が俺の耳に届き、また、ボーカリストがソロ活動を始めたこともあり、「やはり、前作の路線変更は失敗だったのだな」と納得した。

ここで一旦、俺のSigur Rósファン歴は終わる。


あれから4年。アマゾンからのダイレクトメールを見てびっくりした。てっきり解散していたものだと思っていたSigur Rósが新譜を発表していたのだ。これは自分の耳で検証してみなくてはなるまい、と、購入。
 

Valtari / Sigur Rós

sigur ros vartali.jpg


前作のフォーキーな雰囲気は全く引きずっていない。やはり、本人達もアプローチに失敗した、と思っているのだろう。個人的には1曲目から3曲目がツボ。特に3曲目のVarúð終盤、規則的なリズムが刻み始められてからの抑制された盛り上がりは圧倒的だ。
この時点では、「これは名盤、Ágætis Byrjunを越えるか?」と思ったのだが・・・
まぁ、せっかくだからアルバムを聴きつつ、順を追って曲の印象をしたためてみよう。



アルバムは聖歌風のスキャットで幕をあける。しばらくの後、ギター、ベースが演奏に参入、ボーカルに導かれるようにドラムもビートをたたき出すが、1分程度でバンドらしいアンサンブルは終わり、聴くものを不安に陥れる曖昧な効果音が1分程度続く。

2曲目。オルガンの演奏を逆回転のような処理を施した全音符によるルートの進行の上に古いレコードをかけているかのような意図的なノイズ。この曖昧な音響の上にボーカルが乗り、僅かの空白の後、ピアノが演奏に参入、彼ららしい音世界が広がるが、収束部分において冒頭部分と同様の演奏をピアノに変えて単独で1分以上も繰り返されるのに付き合うのにはちょっとした我慢が必要。ドラムの音は聴かれない。

3曲目。比較的簡略なイントロが終わると豊かなメロディーがストリングスとピアノのサポートを得てボーカルにより提示される。裏声と地声の使い分けも効果的。中盤、音圧が下がり、そのままフェード・アウトするかと思うも一転、ドラムの単調ながらも意思を感じさせる力強い音に支えられ、様々な楽器が単調なフレーズを繰り返しながらもどんどんと音圧を上げて行き、どこまでも高く上昇する。圧倒的な開放感。ここでアルバムは早くもクライマックスを迎えてしうまう。

4曲目は3曲目と曲構造が似ており、単独で聴けばそれなりの満足感は得られそうではあるが、前の曲の開放感が残ってしまっている状態では存在感が希薄で、曲配列を間違った、と感じざるを得ない。

5曲目。重層化されたボーカルのスキャットに導かれ、ストリングスを中心とした曖昧模糊とした演奏の上に(どういう楽器を使っているんだろう?ただのギターのボリューム奏法か?)ボーカルが乗る。曲の終盤において、再び冒頭で聴かれる重層化されたボーカルが登場、静謐な印象で曲を締めくくる。打楽器はおろか、ベースの出番もなし。

シームレスに繋がって行く6曲目においては主にアルペジオを奏でるピアノ、全音符のみによって演奏されるギター(多分)、これまた全音符のベース。ストリングスも全音符。これに効果音的に細いボーカルが乗る。曲自体に大きな展開や転調は無く、淡々と奏されている。

アルバムの表題曲でもある7曲目。若干パーカッシブな効果音の上にまたまた曖昧模糊な(笑)演奏が乗る。短いテーマの繰り返しの中で各楽器は演奏への参入、離脱を行い、最終的に曲は細い、それこそ細い音で収束する。

いよいよ最終曲。冒頭部分、耳をそばだてないと認識出来ない、ノイズ未満のひそやかな音が20秒程続き、突然ピアノが単独で演奏に参画。リズムの曖昧な散発的なフレージング。どうやら何回かにわけて録音されているようだ。これだけで4分を強行突破する(笑)。後半3分半程はまたまたアタック音の一切無い曖昧な演奏。ボーカルは聴かれない。いや、耳をそばだててみれば、それらしい音もあるのだが、本当にボーカルかどうかわからない。この曲も短いパターンの繰り返し。収束部分において様々な楽器が徐々に演奏から離脱し、それこそ細いストリングス系の音でアルバムは曖昧に幕を閉じる。打楽器の音は一切聴かれない。


以上。いったい、何回「曖昧」って言葉を使ったかな?(笑)


全体を通してみると、圧倒的にドラマーの出番が少ない。一曲通して参加している曲すらない。バンドらしいアンサンブルのある曲はほとんど無い。いや、皆無ではないのだが、いかんせん、曖昧な音響が支配的な「前振り」と「後始末」部分がくどいまでに長過ぎる。アルバム後半になるとボーカルの存在さえも希薄になる。まぁ、もともとこのバンドは造語を使用していることからも判るように、ボーカルも楽器の一部ととらえ、言葉によるメッセージを排除しているのであるからして不思議ではないが。


思うにこの作品、作曲にかけた時間が圧倒的に少ない、と思われる。それよりも音の響きの美しさを目指した作品だと思うし、その結果は充分に出ており、制作側が目指したと思われる、「静謐で程々にアンビエント」な印象は受け取り側に正しく伝わっていると思う。
しかし、決して奇矯な音響に依存したアンビエント・テクノではない。もちろん電子音は皆無という訳ではないが、生っぽい響きの音がアルバムを横溢している。単調なコード進行の曲が目立つが、アンサンブル、もしくはミックス・ダウンの技で盛り上がりを演出している。この点については「ずるい」と、思いつつも、出ている結果は実に見事。

ただ、一方で、物足りなさを覚えるのも事実。何というか、「美味しいがみんな同じやさしい味付けのフル・コースでお腹いっぱい」な感じになってしまうのは残念。ま、それはアルバムのカラーが統一されている、とも言えない事は無いのだが、どこかにスパイス的要素のある曲が欲しかった。

多分、彼らはバンドらしい「毒」のある音を目指すことはやめ、非エレクトロニカな印象のアンビエントな作風で耽美を目指したのだと思う。少なくとも、この作品はRockの文脈で解釈は出来ない。簡単に言えば、この作品を聴いてギタリストを目指す者はいないだろう。

勿論、決して悪い作品ではない。俺の評価はÁgætis Byrjunを最高傑作として、2番目に位置する、といってもいい。この作品自体に失望はしていないし、むしろ好きな音だ。が、ここまで曖昧な音世界に没頭してしまうと、次回作が出せるのかどうか人ごとながら心配になってしまう。もし、出したとしても本作品の2番煎じ的な内容になるのではないだろうか?

次回作が楽しみだが・・・う〜ん・・・どうなるんだろ?




Valtari

Valtari

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: EMI
  • 発売日: 2012/05/28
  • メディア: CD



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コメント 2

石原茂和

おー,僕もÁgætis Byrjunはよく聴きました.
Takk.. が,なんだかRoger Waters のPink Floydのように聴こえて,そこで止めていたんですが..また聴いてみようかな
by 石原茂和 (2012-12-19 22:01) 

lagu

Takk..は私も黙殺してますが、今回のValariは作品としてはお勧めしますよ。
おおらかな気持ちで接しないと「クサい」ですが、身を任せるとなかなかいい感じです。54分間、我慢して聴いてみて下さい。
by lagu (2012-12-19 22:10) 

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