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デジタル音楽プレーヤー是か非か?(Neil Youngの問題提起を受けて) [音楽一般]

Neil Youngが音声の非可逆圧縮方法、及び既存のデジタル音楽プレーヤーについて苦言を呈した。思うところあって、駄文をしたためたいと思う。

(詳細はこちらを参照されたい)

俺自身はデジタル音楽プレイヤーの恩恵を存分に受けている。MDは1990年代中盤、発売間もなく一号機を入手、いままで7〜8台を使い潰し、現在でも録音専用としてHi-MDを温存している。iPod(音楽再生専用機)は第二世代から購入、いままで5台購入した。それらのいずれにもそれなりに世話になりつつも、納得できていない自分がいることは事実。

もちろん、アーティスト側が発信した情報(音楽)をより正確に受け止めたい、と思っている点では俺も基本的にはNeil Youngと同じスタンスだし、どうせならいい音質で音楽を聴きたい。しかし、どんなに原音に忠実な音響の再現を目指したって、そもそも原音を知らなけりゃ聴いている音がどれだけプアーかなんか解る筈も無い。俺はNeil Youngを敬愛しているが、少なくとも彼の弾いているギターの音も目前で聴いたことはない。そういう意味において、俺は彼の出す『本来の音、ニュアンス』は知りようもない。「じゃぁ、出来るだけCDで聴くことにするか」と思っても、『CDはマスターテープの15%の情報量しか再現できない』なんて、今更言われたって、俺たちにどう出来るってんだい。

音楽作品を非可逆圧縮、すなわちAACやMP3、ATRAC3にした時点で音質が下がるのは理屈上当たり前のことだ。そんなことは誰でも知っている...。それより恐ろしいのは、音質の良し悪しより、非可逆圧縮された音楽のダウンロード販売が一般化することにより(しているけど)、劣悪な音質に聴き手が慣れてしまい、音楽を聴く側の耳が細かいニュアンスを聞き分けられなくなってしまうこと。これが一番の問題だ。
たとえば、手持ちのRockのCDを、128kb/sec、192kb/secでそれぞれMP3にエンコードし、聴き比べてみよう。どんな安物のヘッドフォンで聴いても、明らかな音質(特に高音部)の違いに気がつくはずだ。
俺の最低許容ラインはMP3なら192kb/secまで。勿論、再生デバイスや音楽の種類(情報量)によっても変わってくる。この基準は、iPodレベルのポータブル機にイヤフォンを繋げてRockを聴くなら、だ。

だが、これとは別に、個人によって『心地よく感じる音』が違うのも事実。例えば、俺自身は、AACでエンコードした曲をiPodで再生した音より、ほぼ同じビットレートでATRAC3でエンコードした曲をNet-MDで再生した音の方が好きだ(利便性を考えてあえて現在はiPodを使用しているが)。どんなに『ATRAC3の圧縮技術は悪い』と言われようがなんだろうが、あの音の方が好きなのだ。

レコードにせよCDにせよ、『メディア化された音楽作品』を聴くとき、好みの音質に調整することは当然である。でなければ、グラフィック・イコライザーなどというオーディオ機器が存在する筈も無い。ヘビメタ野郎は低音と高音を上げるだろうし、ボーカル中心に聴く者は中域を上げるだろう。それらは、当然、再生される作品の元のニュアンスを変えていることになるが、これを行うことは音楽作品を所持している者にとっては保証された権利でもある。個人によって、好みの音質は異なってくるのだ。

つまり、極論を言ってしまえば、製品化された音楽をどんな音質でどう聴こうと、それは受け取り側の勝手だ。発信者(アーティスト側)がそれを許せないのなら、再生装置や、再生環境、厳密に言えば音量までも指定してくれなければ正確なニュアンスなんぞ伝わるはずなどないではないか。現実問題としてそんなことは不可能だ。曲げようの無い事実として、俺自身、自らが演奏に参加している音楽作品を、自分が人前で演奏しているような音量で自宅で聴いたことなどない。そんなことしたら近隣住民に通報され、警官がやってくる。

さて、これらの複合的な問題の根源はどこにあるのか?それは勿論、出来合いの商品化された音楽作品を、音質を劣化させたことを承知の上で『商品』として扱った音楽配信サービスを行う企業の姿勢である。各音楽配信サービスを行う会社により良き状態で音楽を配信する企業努力が求められるのは当然のことであり、各社は新たなより良い音楽フォーマットの開発の為に研究機関を共同で設立するくらいの社会的責任は負うべきだ。それと共に、インターネットという確立された技術の上に乗って商売を行うのなら、より音質劣化の少ない、即ち高いビットレートでの配信を容易にするべく、通信速度向上、もしくは回線容量増加の為にしかるべき機関に出資を行い、インターネットという社会インフラの整備に寄与するべきではないか?一般の道路だって通行する車、ガソリン等にかけられている税金で整備され、商用車(重量車)にはより多くの税金が課せられるのはあたりまえのことだ。

正直、音楽家の端くれとしては納得はいかないが、リスナーにとっての利便性(どのくらいの頻度で音楽に接していたいか)、情報量(聴きたい音楽の種類、数)、コスト(文字通り、音楽にどれだけ払う気があるか、即ち、価値を見いだしているか)のバランスを考えれば、今は音楽記録媒体の過渡期なのだと思う。CDと同じサイズの記憶媒体に複数の種類があることがこれを物語っている。極論を言えば、今のままでは、いずれ音楽文化の音響部分が矮小化するか、CDがメディアとして滅びるかのどちらかだ。音楽ビジネスはそういう岐路に立たされている。


しかし、これだけは言っておきたい。


商業的側面を度外視した時、音楽そのものの芸術性の高さは音質には依存しない。音楽とは、そういう物だ。
 
 
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