自主制作映画で使わせてもらったぜ、「ポルナレフ革命」 [Pops]
確か高校三年生の時だったと思う。文化祭の出し物に困窮していた俺たちのクラスに、願っても無いような幸運が訪れた。なんと、クラスメートの一人が16ミリ機材を買ったのである。今でこそ家庭用にビデオカメラが普及しているが、当事は音声入りの動画を撮影するなんてとてもとても贅沢なことだったのだ。
演劇部に所属していたクラスメートの熱い提案で、この16ミリ機材を使って自主製作映画を作って文化祭に出品しよう、という事になった。内容は・・・まぁ正直言って全く他愛の無い青春恋愛ものである。しかし、俺たちは「自分たちで映画を製作する」という創造的作業に夢中になった。さまざまなぶつかり合いがありながらも撮影を進め、現像からあがって来たフィルムを、学校そっちのけで友人宅に大挙して泊り込み、連日連夜、「あーでもないこーでもない」と編集し、文化祭の開催が目前に迫ってようやく最終形が見えてきた頃、「何か物足りない」ということになった。音楽のことを全く考えていなかったのである。俺は、「これなんか使えるんじゃないか?」と、当事気に入っていたLPをクラスメート達に聴かせた。「あ、この曲いいじゃん、あ、この曲は最後のシーンにぴったり。これで行こうぜ」
なんか、すっげぇ楽しかったなぁ。
で、これがその時に使った音楽である。
MICHEL POLNAREF
LP発売当事の邦題は「ポルナレフ革命」。数年前にCDで再購入したが、アートワークも曲順も、アルバムタイトルさえ邦盤とは異なっている。今回俺が購入したのはどこの国でプレスされたものなんだろう?良くわからない…
日本のメディアから勝手に「フレンチ・ポップスの貴公子」という称号を冠されたミッシェル・ポルナレフは、明らかに「色物」である。まるで少女漫画から抜け出して来たかのようなルックス、ケバケバしいステージ衣装、ロマンチックな主題。しかし、これらのイメージは計算の上で捻出された虚飾であることは明白だ。デビュー当時はあのトレードマークのサングラスもかけていなかったようだし、髪形もストレートだったようだ。
音楽的にはエルトン・ジョンに通じるところもあり、非常にわかりやすい良質なポップスだが、改めて今こうして聴いてみると、「色気づいたティーンエイジャー向けの音楽」という印象は免れない。が、多分ポルナレフ本人もターゲットをティーンエイジャーに絞っていたはずだ。そういう意味では彼の読みどおりだったのだと思うし、俺たちも彼の術中に見事にはまったわけだ。そのくらい当事のポルナレフにはスターとしての存在感があった。
正直言えば、今後、この作品を四六時中愛聴し続けることは無いと思う。ごくたまに(数年に一回程度)聴く程度だろう。数年前に偶然ショップで見つけた時も、再購入するかどうか躊躇した。
しかし、音楽の好みが年齢を経る毎に変わっていくのが当然とは言え、かつて自分が好きだった音楽を、自分の年齢を理由に自ら遠ざけるなんて愚の骨頂だと思う。曲げようの無い事実として、おじさんになった俺自身がこうして30年前に聴いていたポルナレフの作品をCDで買い直し、当事のような瑞々しい感性を取り戻せないまでも、多少なりともあのころの感覚がよみがえって来たりするわけだ。俺の青春の1ページを飾った音楽。愛おしく感じる。
因みに、俺達が例の自主制作映画で使ったのは、LE PRINCE EN OTAGE、ROSY、LA VIE, LA VIE M’A QUITTE、L’HOMME QUI PLEURAIT DES LARMES DE VERREだった。
ポレナレフ懐かしいですね!
このアルバムには「シェリーに口づけ」はないのでしょうけど
さんざん歌ってました。
トゥトゥプマシェリマシェリ
トゥトゥプマシェリマシェリ
ビャビャザベクモワ
アンピャビャマケモワ
ニートノリタクウェセバフュモ
ドチュネパラベビモワ
なんてデタラメフランス語を
がなっていました。
失礼!はずかしい。。。
ロイジェームスがDJだった
ポップスベスト10で聞いたのであった。
by seniman (2006-03-23 00:32)