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絢爛と超絶のガムラン / ティルタ・サリ [ガムラン]

先日、久しぶりにガムランが聴きたくなって手が伸びた作品。久々にその良さを再確認し、3日連続で聴いてしまった。

Tirta Sariが1990年、3度目の来日時に録音した作品。名盤と言うにふさわしいクオリティ、選曲、そして演奏を披露している。


絢爛と超絶のガムラン / ティルタ・サリ

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Tirta Sariは、本来、Semar Pegulinganの楽団であるが、この録音ではGong Kebyarのセットを使用している。ガムラン音楽に造詣が深い者なら、「え?Titra SariがGong Kebyar?なんかおかしいんじゃないか?」と思う事だろうし、俺自身も最初はそう思った。が、音階は通常Tirta Sariが使用しているSemar Pegulingan Saih Limaのセットと同じ調律がなされており、更に、一般的なGong Kebyar編成では使用されない、Semar Pegulingan Saih Lima編成において主に主旋律を担当する青銅製の鍵盤打楽器、Gender Rambatが編成に加えられているせいか、極端な違和感は感じない。とはいいつつ、この作品に収録されている曲で、Gender Rambatが大活躍する曲はあまり無いのであるが。ま、いい意味で音響的にはSemar PegulinganとGong Kebyarのハイブリッド版とも言える。

この作品、録音スタジオで演奏されているが、実にナチュラルな響きが印象的だ。おそらくスタジオに備わっていたであろう、リバーブ等の空間系エフェクターの使用をあえて避け、必要以上に原音を歪めることないように細心の注意が払われている。結果、場の空気感まで伝わって来て、まるで数メートル先で演奏しているかのようなリアルさである。

肝心の収録内容であるが、Peliatanで演じられることの多いセミ・クラシカルな器楽曲と舞踊曲、そして古典的作曲技法に則った新作の器楽曲一曲で構成されている。当然、演奏内容については文句のつけようが無い。

せっかくだから、収録曲を順番にみてみよう。

アルバムはSekar Jepun(器楽曲)で幕を開ける。1990年代中盤まで、Tirta Sariが公演のオープニングに頻繁に演奏していた名曲である。華やかな冒頭部分と重厚な終盤部分との対比が見事。個人的に大好きな曲である。

続いてKebyar Trompong(舞踊曲)、男装した女性の踊りを男性が踊る、という、なんだか屈折した設定の舞踊の伴奏曲。この曲はメロディーがしっかりしており、繰り返しの部分がほとんどない。ガムランというと、ミニマル・ミュージックとの相似点(短いフレーズの繰り返しにより曲が成立している)を指摘する知識の浅い音楽評論家も多いが、彼らの表層的知識を木っ端みじんにする曲である。あ、肝心の演奏はノリノリ(笑)。いやぁ、冗談じゃなくて、中盤以降の飛ばしっぷりは実に爽快。

3曲目はKapi Raja(器楽曲)、3分程度の短い時間にGong Kebyarの要素をぎゅっと濃縮させた密度の濃い曲。協奏曲風の冒頭部分、2台のKendan(両面太鼓)の掛け合いを中心に曲が進行して行く中盤、簡潔なメロディーながらも様々な楽器によってアンサンブルのバリエーションを提示しつつ、素晴らしいスピード感でぐいぐい押して行く終盤。そしてスリリングかつ豪奢なエンディング。名曲中の名曲。

さて、次に待ち受けるのは、古典的作曲技法による15分に渡る大曲、Yama Sari(器楽曲)である。ここでは主旋律楽器がTrompongとなり、伸びやかな演奏を聴かせる。要所で楔のように打ち込まれる力強いKendan(両面太鼓)の音が実に効果的。後半部分でフレーズの繰り返しの中でどんどんと演奏に熱気が帯び、このまま終わるかと思いきや唐突に展開する一瞬は鳥肌ものである。

続いてBaris、男性ソロ舞踊の代表格である。連射砲のように次から次へと繰り出されるパングル(バチ)を使用したKendanに突き動かされるように、時として緊張感をたたえ、時としてダイナミックに踊る姿が手に取るようである。この曲はガムランにせよ舞踊にせよ、まず子供達が最初に習う基本中の基本なのであるが、この作品での演奏は曲中の動と静、緩と急の対比も実にニュアンスに富んでおり、舞踊映像がなくとも鑑賞に耐える芸術音楽の域にまで昇華させている。

いよいよアルバムも終盤に差し掛かったところで繰り出される超有名曲、Ujan Mas(器楽曲)。この曲もKapi Raja同様、Gong Kebyarの魅力を濃縮したような曲だ。また、Gong Kebyarの器楽曲としては珍しく、冒頭部分のフレーズがオン・リズムで取れるためか非常に解り易く、かつ印象的で、この曲をきっかけにしてガムラン音楽に興味を持つものも多い。演奏は勿論完璧。

最終曲、Taruna Jayaはシンガラジャ地方で半世紀以上前に創作された舞踊曲であるが、キメどころ満載で、一瞬たりとも気の抜けない10分弱。短いタームで連打されていく重々しいゴング類の響きの上を青銅製鍵盤打楽器による細かいパッセージが絡み合い編み目模様をつくり、緩急豊かな音の塊がどんどんと熱気を帯びて来て一気にかけぬける様は圧巻。

以上。実に充実した内容。


俺の知る範囲では、意外にも本国インドネシア以外で発売されているTirta Sariの録音は、この作品とドイツの某レーベルから発売されている、とてつもなく録音状態の悪い作品、たった2枚であるので、(以前はVictorからもう一枚発売されていたが、なぜか廃盤のようである)日本でTirta Sariの音を聴きたくなったファンは否応無しに選択せざえるを得ない一枚だが、その価値はある。逆に、ドイツの某レーベルから発売されている物はお勧めできない。あまりにもミックス・ダウンが酷く、Tirta Sari本来の魅力が台無しになっているからだ。


さて、耳の肥えたガムラン愛好者であれば、この作品を聴いて、Yamasariとの相似点に気がついている筈だ。それは1996年から2000年までの第二期Yamasariが使用していた楽器の音階的特徴、及び音響的特徴がこの作品で使用されている楽器のそれと酷似しているからだけではない。

実は、この作品で音楽監督をつとめているC.A.Hendrawan氏は、後にYamasariの発起人となり、自らリーダーに就任するのみならず、この作品で演奏者としてクレジットされているメンバー中、実に3分の2が後にYamasariに移籍(注:一部はTirta Sariに出戻り)しているのだ。これらの事実を鑑みれば、当然、アプローチの方法、全体から受ける印象が似通っていても全く不思議ではなく、むしろ当然とも言える。また、この作品でお披露目されているYama Sariという曲も、この録音が行われた4年後に結成されたYamasariの楽団名となったのみならず、重要なレパートリー、いや、楽団のテーマ曲とでもいうべき存在として、同じくVictorから発売されている2作品、即ち「燦然と神秘のガムラン」「衝撃と絢爛のスーパーガムラン」の両方に収録されている。


Semar Pegulinganより操作性が良いとされているGong Kebyarを使用しているせいか、普段よりアグレッシブな印象のTirta Sari、そしてここから分派していくYamasariの予兆が感じられる作品。ガムラン愛好家なら必聴である。

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