The Waking Hour / Dali's Car [Rock]
1980年代中盤、Japan解散後のMick KarnとBauhausのPeter Murphyが中心となって奇妙な音楽作品を作った。
The Waking Hour / Dali's Car
バンド(ユニット)名は、シュールレアリズムの巨匠、サルバドール・ダリの作製したオブジェから着想を得ている。乗用車の車内にシャワー・ヘッドが付けらている、なんとも意味不明な作品なのだが、これは「ありえない取り合わせ」を行うことにより、鑑賞対象に驚きを与えるためのものだ。あまり意味を追求しても混乱するだけなので(元々意味なんぞないので)、「なんで?」と思っていれば良い。(因みに、俺は学生時代から現在に至るまで、サルバドール・ダリの大ファンである)
さて、肝心のこの作品の内容。Mick Karnが演奏する不可思議な印象のフレットレス・ベースがほぼ全編を支配している。ゲスト・プレイヤーも参加しているが、ほとんどの音はMick Karnの多重録音によって作られていると思われる。吹奏リード楽器(サキソフォン等)もいたるところで聞かれるが、これもMick Karnによるものだろう。中にはテープの逆回転を多用した曲もある。
正直言えば、作曲という音楽をより高いレベルで成立させる為の作為は希薄。コード展開もほとんど無い奇妙な音の上にキーボード、サキソフォン、若干のギターなどの音が色を与えているが、和声が成立しているんだかどうだかわからない。なんとなく中近東風の音階の選び方。また、曲によってはタブラなども使用し、音色にバリエーションを与えている。いわゆる無国籍な音だが、ニュー・エイジ風の作風ではない。一言で言うなら「変態ロック」である。
前述のようにMick Karnのベースがほぼ全編を貫いているが、思いつきでソロを入れたりはしていない。中には一曲を通して、2小節に設計された全く同じフレーズを繰り返している曲すらある。かなり真面目に演奏されているのだが、その真面目に作ったフレーズ自体が「変態」なのだ。
これは悪い意味で言っているのではない。むしろ誉めているともいえる。
いわゆる楽器演奏における「変態」とは、ありあまるテクニックと理論を駆使した結果、常人には到底理解できない域に達してしまった結果の「変態」と、最初から居心地の悪さを狙った、端的に言えば確信犯的な「変態」がある。しかし、Mick Karnの変態ぶりはそのどちらにも当てはまらないのである。
Mick Karnが、誉れ高きノン・ジャンルな変態超絶ベーシスト、Percy Johnesに傾倒していた、と察するのは容易なことである。だが、彼の場合はテクニック的にPercy Johnesに遠く及ばないことは両者を知っている者ならばMick Karn本人を含め誰でもわかる。その結果、Mick Karnが選んだのはジャズ寄りのアプローチではなく、あくまでもRockとしてのアプローチだったのだろう。
では、この作品の主役ともいえるMick KarnのプレイがPercy Johnesに劣っているからつまらないか、と訊かれれば、そんなことはない。俺自身は発表後25年が経過した現在でもかなり面白く聴ける。
重要なのは、どういった層にアピールするためにはどういった音を作るか、ということなのだ。楽器演奏の技術力が高いからと言って必ずしもいい結果が出るとは限らないのだ。勿論、これは基本となるテクニックがあってこその話だが。
特に、アプローチする層がRockを欲している場合は。
前述の通り、見事なテクニックに舌を巻くわけでもない。高度な音楽性に感じ入るわけでもない。画期的な実験的試みに驚くわけでもない。素晴らしいメロディーに心を打たれるわけでもない。が、一旦聴き始めると最後まで止めることが出来ない、不思議な音世界。ある意味難解でありながら、なぜか聴きやすい。80年代のイギリスを席巻したニュー・ロマンティック・ブームに引っ掻き回されたなかでドロップした者が生み出した異形の音であり、こういった「聴きやすさ」と「エキゾチシズム(怪異趣味、とも言うが)」を同時に実現した音はなかなか無い。俺自身は、多少の無理があったとはいえ、このコラボレーションはいい結果が出た、と思っている。
しかし、この音で歌わざるを得なかったPeter Murphyは相当苦労したはずだ。Dali's Carというバンド(ユニット)名が冠されていることから察するに、当初はグループとして活動していくつもりだったのだろう。しかし、この二人の個性はあまりにも強すぎた。結局この一枚を残して解散、というより、消滅。察するにこの作品を作成している途中で結果は目に見えていたのかもしれない。
その後、この作品は…どこにも影響を及ぼさなかった、と思われる(笑)。そのくらい特殊な音なのだ。一聴の価値はあり。保証する。
ところで、このジャケット、明らかにマックスフィールド・パリッシュの有名絵画をそのまま流用しているよなぁ…確かに作品のタイトルにはぴったりの主題なのだが、もうちょっと考えても良かったんじゃないか?
The Waking Hour / Dali's Car
バンド(ユニット)名は、シュールレアリズムの巨匠、サルバドール・ダリの作製したオブジェから着想を得ている。乗用車の車内にシャワー・ヘッドが付けらている、なんとも意味不明な作品なのだが、これは「ありえない取り合わせ」を行うことにより、鑑賞対象に驚きを与えるためのものだ。あまり意味を追求しても混乱するだけなので(元々意味なんぞないので)、「なんで?」と思っていれば良い。(因みに、俺は学生時代から現在に至るまで、サルバドール・ダリの大ファンである)
さて、肝心のこの作品の内容。Mick Karnが演奏する不可思議な印象のフレットレス・ベースがほぼ全編を支配している。ゲスト・プレイヤーも参加しているが、ほとんどの音はMick Karnの多重録音によって作られていると思われる。吹奏リード楽器(サキソフォン等)もいたるところで聞かれるが、これもMick Karnによるものだろう。中にはテープの逆回転を多用した曲もある。
正直言えば、作曲という音楽をより高いレベルで成立させる為の作為は希薄。コード展開もほとんど無い奇妙な音の上にキーボード、サキソフォン、若干のギターなどの音が色を与えているが、和声が成立しているんだかどうだかわからない。なんとなく中近東風の音階の選び方。また、曲によってはタブラなども使用し、音色にバリエーションを与えている。いわゆる無国籍な音だが、ニュー・エイジ風の作風ではない。一言で言うなら「変態ロック」である。
前述のようにMick Karnのベースがほぼ全編を貫いているが、思いつきでソロを入れたりはしていない。中には一曲を通して、2小節に設計された全く同じフレーズを繰り返している曲すらある。かなり真面目に演奏されているのだが、その真面目に作ったフレーズ自体が「変態」なのだ。
これは悪い意味で言っているのではない。むしろ誉めているともいえる。
いわゆる楽器演奏における「変態」とは、ありあまるテクニックと理論を駆使した結果、常人には到底理解できない域に達してしまった結果の「変態」と、最初から居心地の悪さを狙った、端的に言えば確信犯的な「変態」がある。しかし、Mick Karnの変態ぶりはそのどちらにも当てはまらないのである。
Mick Karnが、誉れ高きノン・ジャンルな変態超絶ベーシスト、Percy Johnesに傾倒していた、と察するのは容易なことである。だが、彼の場合はテクニック的にPercy Johnesに遠く及ばないことは両者を知っている者ならばMick Karn本人を含め誰でもわかる。その結果、Mick Karnが選んだのはジャズ寄りのアプローチではなく、あくまでもRockとしてのアプローチだったのだろう。
では、この作品の主役ともいえるMick KarnのプレイがPercy Johnesに劣っているからつまらないか、と訊かれれば、そんなことはない。俺自身は発表後25年が経過した現在でもかなり面白く聴ける。
重要なのは、どういった層にアピールするためにはどういった音を作るか、ということなのだ。楽器演奏の技術力が高いからと言って必ずしもいい結果が出るとは限らないのだ。勿論、これは基本となるテクニックがあってこその話だが。
特に、アプローチする層がRockを欲している場合は。
前述の通り、見事なテクニックに舌を巻くわけでもない。高度な音楽性に感じ入るわけでもない。画期的な実験的試みに驚くわけでもない。素晴らしいメロディーに心を打たれるわけでもない。が、一旦聴き始めると最後まで止めることが出来ない、不思議な音世界。ある意味難解でありながら、なぜか聴きやすい。80年代のイギリスを席巻したニュー・ロマンティック・ブームに引っ掻き回されたなかでドロップした者が生み出した異形の音であり、こういった「聴きやすさ」と「エキゾチシズム(怪異趣味、とも言うが)」を同時に実現した音はなかなか無い。俺自身は、多少の無理があったとはいえ、このコラボレーションはいい結果が出た、と思っている。
しかし、この音で歌わざるを得なかったPeter Murphyは相当苦労したはずだ。Dali's Carというバンド(ユニット)名が冠されていることから察するに、当初はグループとして活動していくつもりだったのだろう。しかし、この二人の個性はあまりにも強すぎた。結局この一枚を残して解散、というより、消滅。察するにこの作品を作成している途中で結果は目に見えていたのかもしれない。
その後、この作品は…どこにも影響を及ぼさなかった、と思われる(笑)。そのくらい特殊な音なのだ。一聴の価値はあり。保証する。
ところで、このジャケット、明らかにマックスフィールド・パリッシュの有名絵画をそのまま流用しているよなぁ…確かに作品のタイトルにはぴったりの主題なのだが、もうちょっと考えても良かったんじゃないか?
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