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Piano Music / Simon Jeffes [Ambient/New Age/Experimental]

音楽作品の主流媒体がLPからCDに移行し始まった当初から、付加価値をつける為か、CDにはボーナストラックがつきものだった。しかしながら、良く見かける『日本盤のみボーナストラック収録』と表示のあるCDは、その編集方法に工夫が全く見られない物がほとんどで、本編との区別が不可能な繋がった形で無造作に並べて収録されていたりすることが多く、この傾向は現在でもあまり変わらない。これは曲配列に注意を払って作品作りをしたアーティストにとっては非常に不本意なことだと思う。

この状況を打開する為か、一部のこだわりを持ったアーティストの中には、ボーナストラックを意表をつく方法で収録する動向が見られる。例えばNirvanaのNevermindやIn Uteroに付加されたボーナストラックは、アルバム本編終了後、10分以上空白をおいて収録されていた。また、Nine Inch Nailsはアルバム本編終了後、空白のトラックを延々と並べ、98曲目、99曲目(CDの製品企画上、99以上トラックはつくれない)にボーナス曲を収録した。Marylin Mansonも似たような手法を使ったが、あれはボーナストラックというより、隠しトラックと言った方がしっくり来る曲(?)だった。また、Liz PhairはCDにシリアルナンバーを付与したカードを封入し、Webより1回のみボーナストラックをダウンロード出来る権利を付与するという斬新な手法をとった。ボーナストラックのみを別ディスクにするという大胆な手法もよく見られるが、その結果、単価が上がってしまうのでは本末転倒なのだけれど。

いずれにせよ、これらの工夫は、「ボーナストラックはあくまでもおまけであり、アルバムの流れを構成するものではない」という、アーティスト側のこだわりが尊重された結果だろう。

しかし、ここ数年の非常によろしくない傾向として、既発の古い作品をマスタリングし直して再発売する際、大量のボーナストラックで付加価値をつけるのがあたかも常識のようになっている。

勿論、それら全てが悪いとは言わない。例えばThe WhoのLive At The Leadsの様に、コンサートでは実際に演奏されながらも作品化するにあたって収録時間の都合で漏れてしまった曲を、媒体の収録時間が長くなった為に追加することが可能になったりした例もあるし、Uriah HeepのMagician's Birthdayの様に、2枚組の大作を作るつもりでスタジオに入っていたのに、発売元が急がせた為に1枚もので発表せざるをえなくなってしまい、本来収録するつもりでレコーディングしながらも選曲から漏れた曲を追加する、と言ったやり方をする場合もある。

こういった『既存の作品の価値を下げない』ボーナストラックの追加については賛成だが、本編に収録されている曲のデモ・バージョンや、他人が勝手にリミックスしたバージョンや、曲のアイデアをスタジオでラフ・セッションした模様なんぞ聴かされてもなーんも有り難みなんぞないどころか、鬱陶しいだけである。

特に、「昔LPで聴いていたアルバムをCDで持っていたい」という動機で購入したのに、つまらないボーナストラックが追加されていたりすると『青春の思い出』に水を差されたような気がしてガッカリである。大作主義が多いプログレの作品においてはなにをかいわんや、絶対にやめていただきたい。組曲形式の長い曲を聞き終わって満足感に浸っている時に、意図していなかったアレンジも演奏内容も音質も悪いデモ・バージョンなどが始まると腰砕けであり、余韻もへったくれもあったもんじゃない。本編の完成度さえ下げ、リスナーの思い入れを無為なものにする暴挙である、とすら思う事がある。



ま、それはさておき。



Piano Music / Simon Jeffes

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Simon Jeffes没後6年が経過した2003年に発表されたこのCDに収録されている曲の数々は、Simon JeffesがPenguin Cafe Orchestraの主宰者として、Penguin Cafe Orchestraで実現することを視野に入れたアイデアをピアノで残しておいたものであり、これ自体を作品化することを目的に録音されたものではない。実際にPenguin Cafe Orchestraで演奏されている曲も数曲あるが、いわば『デモ・トラック集』であり、放っておいたらPenguin Cafe Orchestra作品のボーナス・トラックに流用されてしまいそうなものだが、幸いにもこうしてまとまった作品集として聴けるようになった。

故人の意思とは無関係に不完全な演奏が寄せ集められて作品の体裁になるなんて不本意なことかもしれない。俺も本来ならばこういった商売のやり方は嫌いである。また、ピアノという楽器を演奏しない(出来ない)俺にとってはこの作品集で聴かれる彼の技量がいかばかりのものかはわからない。中には中途半端にフェードアウトしている曲もある。元々Penguin Cafe Orchestraで作品化する為のアイデアを収録したものなので、全力で演奏しているわけではないだろうし、演奏技量や楽曲の完成度をこの作品の価値基準に持ってきてしまうと多分、アウトなんだと思う。

しかし、俺はこの作品に限ってはそういう不満は全くない。なぜなら、『一人ペンカフェ』と言ってしまってもいい程、Penguin Cafe Orchestraと雰囲気が良く似ており、(見方を変えればPenguin Cafe Orchestraの団員達はSimon Jeffesの意図を充分汲み取れていたということになる)独特のゆるさが聴いていて幸せな気分にさせてくれるからだ。最近はPenguin Cafe Orchestraより、こちらを聴くことの方が多い程だ。デモ・トラック集のはずなのに、生活音楽作品として最高の出来。

注意深く聴いてみると、曲によってはピアノの弦に一部手を加え(何か異物を挟む、等)、実験的なことをしているが、どう考えてもSimon JeffesがJohn Cageのプリペアド・ピアノの真似事をしたかったとは思えないので、これは多分、Japanese Piano Pieceという曲名から察するに、琴の音を真似たつもり、もしくは正式なレコーディングでは本物の琴を使うことを想定して作曲したのだと思われる。また、数曲で女声によるスキャットやシンセサイザー等もつかわれているが、これらは実際にどのようなアンサンブルにするかをより具体的にメンバーに説明するためのものだろう。当然、一気に録音されたものでは無いはずなのだが、極端な音質のバラつきもさほど感じさせず、通して聴いていて違和感は全くない。

発売当初は入手が困難で、(多分、作品の性質上、あまり大量にプレスしなかったんだと思う)某ショップで見かけたときは狂喜乱舞し値札も見ずに商品を手にレジカウンターに持って行き、予想を大幅に上回る請求金額に驚いた記憶があるが、近年再発されて入手しやすくなった。

ご存知の通り、Simon Jeffesは1997年に若くして亡くなっているが、近年、Penguin Cafe Orchestraの旧団員達が集まってコンサートを開催したようである。せっかくだからこういったSimon Jeffes存命時に作品化されなかったアイデアの数々からSimon Jeffesの意図を汲み取って、Penguin Cafe Orchestraとして作品化してくれないだろうか?切に望む。

【後日記】と、思っていたら、なんとSimon Jeffesの息子を中心に再結成し、今年、新しいアルバムも発表していたのね。ぜーんぜん知らなかった・・・


Piano Music

Piano Music

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: Penguin Cafe
  • 発売日: 2011/05/10
  • メディア: CD



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コメント 2

石原茂和

おおー,Penguin Cafe Orch.は,来日時に見に行きました.もちろん80年代まっただなか..
Obscureから出た事で,Enoの好きな人間だけは知っている存在だったのが,なぜかわからぬうちに,とんでもないメジャーな存在になり来日公演まで..と非常に不思議な感覚でした.

P.C.O.,諧謔というか,孤独者の(リア貧の)すねた感じといいましょうか,そこが実におもしろい感覚でした(特に1st)

これは聴かないと..
by 石原茂和 (2011-12-24 08:05) 

lagu

ペンカフェが好きならこれは聴く価値ありますよ。逆にあの『緩さ』が苦手な人にはまったくお勧めできませんが(笑)。
by lagu (2011-12-24 10:02) 

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